かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(68) ハンドパワー


 「ハンドパワー」。無理矢理翻訳すると手力。天岩戸をこじ開けた、あの手力己尊のそれはやはり想像を絶するものであったろうと呑気な推測をしつつ、親戚の子の握るこども鉛筆を見つめる午下がり。

 私だけでしょうか、最近の幼児はどうも鉛筆を握るのが不得手じゃないか、と思ってしまうのは・・・。頑張って握っているけれど、筆記している方の手首は空中に浮いていて筆圧もやけに濃かったり薄かったり。そうこうしているうちに、幼児の顔には早くもお疲れの色が浮かび、「まだこんなに書かなくちゃいけないの?」という文言が顔に書いてあります。

 子供がどれだけ上手に鉛筆を握れるかは、その後の学習の取り組みやすさに直結してきます。鉛筆を握ること自体が苦になってしまうと、その苦しさとお勉強とが直結されてしまうことは想像に難くありません。

 なぜ鉛筆を握ることが不得手なのか・・・。

 単純に考えますと、その原因は「鉛筆を持つ経験が浅い」ためであり、ではなぜそれほど鉛筆に馴染みがないかということを推察するに、もしかすると彼らは筆記用具を使う遊びに疎くなっているのではないか、という事に思い至ったのです。

 私が小さい頃は「塗り絵」であるとか「お絵かき」であるとか、何かと筆記用具が身近にありましたが、最近はどうなのでしょうか。読者諸氏の身の回りで塗り絵に興ずる子供のありやなしや。

 スマートフォンであったり視聴に特化した遊びに事欠かない昨今、少なくともそうした娯楽をする時に彼らの手はきっとお留守なはずです。そうして新しく登場した「愉しいもの」によって、書くという愉しみに費やす時間が目減りしているとしたら、それはちょっとした問題であります。

 彼らのハンドパワーを如何にして充実させていくか。とりあえず手力己尊よろしく電子機器を引っ掴んで「ええい」と放り投げる、というワケには行きますまい。今こそ賢いオトナの賢い工夫が肝要なのやも知れません。

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