かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳

教育雑記帳(68) ハンドパワー

「ハンドパワー」。無理矢理翻訳すると手力。天岩戸をこじ開けた、あの手力己尊のそれはやはり想像を絶するものであったろうと呑気な推測をしつつ、親戚の子の握るこども鉛筆を見つめる午下がり。 私だけでしょうか、最近の幼児はどうも鉛筆を握るのが不得手…

教育雑記帳(67) 悪筆の栄え Ⅱ

字が変わってきた子供を、これまで何人も見たことがあります。 もちろん字そのもののバランスが取れて、ヘンなクセ字が是正されるという点もありますが、何より字が変わってくる子は、たいへん計画的に字を書けるようになって来ます。 残りのスペースを塩梅…

教育雑記帳(66) 悪筆の栄え Ⅰ

字を見れば、それを書いた人物の人品が何となく想像出来るというもの。ましてや子供が書く字となると、それはほとんど自己紹介と同じようなものなのではないかと私は思うのです。 いま私の前に四則の計算をする子が二人あるとしましょう。一人は勢いに任せて…

教育雑記帳(65) ねじれ英語教育 Ⅱ

今や小学校から英語の勉強を義務化されているわれわれは「国際競争力」の名の下に、いったい何と競うことを企図されているのか・・・。 おそらくそれは、資本という優勝劣敗ゲームのもとに目まぐるしく変転する世界市場という場において戦える人材になることを…

教育雑記帳(64) ねじれ英語教育 Ⅰ

なぜ英語を勉強せねばならないのでしょうか。「この頃のように日本もだんだん国際的に顔が広くなって来て、内地人と外国人とが盛んに交際する、いろんな主義やら思想が這入って来る、男は勿論女もどしどしハイカラになる、と云うような時勢になっ」たがため…

教育雑記帳(66) 違うものは違う Ⅳ

「違う、なんて言う権利がおれにはない」と退くのは誰にでも出来ること。それに比して「それは違う」と叱正した人の風当たりが強くなるのもまた避けられないことでしょう。 ですが、万人がおめおめと非倫理的な行いの前に退却していてはロクな世の中になりま…

教育雑記帳(65) 違うものは違う Ⅲ

「違う」ものを「違う」と言わない場面は、よもや学習面ばかりではありますまい。子育ての場面において「私は子供の言うことを否定しません」と豪語する人がありますけれど、果たしてその子供は絶対に間違えないのでしょうか。もちろん、間違えたとしても頭…

教育雑記帳(64) 違うものは違う Ⅱ

「国語」の学習において、私は子供といえども決して容赦は致しませぬ。彼らから打ち返されてきた答えを受けたら、あらゆる誤読の可能性を探り、彼らが迷い込んだ袋小路の出口へいち早く先回りし、時に綿密な対話と言葉の擦り合わせを繰り返しつつ、「違う」…

教育雑記帳(63) 違うものは違う Ⅰ

『子供が勉強で間違えても「違う」とは言わないようにする。』 この頃こんな教育方針を耳にしたのですが、これに如何ともしがたい違和感を覚えてしまう私は旧弊な人間なのでしょうか。 一応私は国語畑の人間ですから、自分の授業や指導の中では極力、子供達…

教育雑記帳(61) グラグラの土台 Ⅱ

●「非積み木型」学習者 積み木で遊ぶことが出来ない人間があるとしたら、彼はおそらくそれを積まずに散らばして満足するのではないでしょうか。 バラバラに散乱する積み木を「非積み木型」学習者の秩序立っていない、言うなればカオス状態な頭の中と見立てて…

教育雑記帳(60) グラグラの土台 Ⅰ

●「積み木型」学習者 「ンなこと言ったって、オモテなんて上がらねぇよ。なにせ土台が腐ってるって、この間も、そう言ってやったんだよ。」 というのは落語でお馴染みの大工さんの台詞。この一節が私の口をついて危うく出そうになったことの発端は、とんでも…

教育雑記帳(59) それを天秤にかけますか? Ⅲ

「それを天秤にかけますか?」 その子は基礎学力を全く放擲してプロのスポーツ選手にでもなるのでしょうか。百歩譲ってもしそんな夢が叶うにせよ、「読み・書き・計算」もままならないような人物が日の丸を背負ってアホ丸出しのインタビューに応じる姿を、私…

教育雑記帳(56) 親のマネジメント力 Ⅲ

教室にやってくる度、毎回のように暴れたりぐずったりしながらという子供も一定数あります。 もしかすると、そんな親達は「連れてくればよい」という認識のもと、子供の「動機づけ」についても思いを致すことがないのやも知れません。下の下はやはり「物で釣…

教育雑記帳(55) 親のマネジメント力 Ⅱ

子供が独力で「勉強モード」であったり「教室に行くモード」に切り替わるれるか、と言ったら決してそうではありません。流石にものが分かってきた年頃の子たちであれば、こなすべきタスクに応じて自分でさっさと切り替えを行うわけで、日々異なる習い事を三…

教育雑記帳(54) 親のマネジメント力 Ⅰ

教室にやって来る子には二通りあります。 一つは「いつも一定の調子でやってくる子」、そしていま一つは「その日その日で調子が変動する子」に大別されるかと思います。 子供なのだから日ごとに何かしら調子の変動があるのは当たり前だ、と思われる方もある…

教育雑記帳(53) ベンキョウとブカツ Ⅲ

勉強を通して「わかる」こととは、山を描くことに似ています。 ある山の山容を描けと言われた人は、おそらく頂上の形からその稜線の様子、裾野の広がりに加えて、それに連なる山系や重なり合って襞を為す隣の山裾の様子まで正確に記憶して「ある山」の全体像…

教育雑記帳(52) ベンキョウとブカツ

皆が学者レベルにならねばならない、というわけではないのです。社会生活の中で、他者との関わりの中で最低限、論理的にものを考え、自分の行動を決定したり、適切な言葉を使ってコミュニケーションを行えるようになることこそが、学校教育もとい国民皆学の…

教育雑記帳(51) ベンキョウとブカツ Ⅰ

春休みのグラウンドで、若人がパカスカとボールを打ち、何やら特殊なかけ声を発しながらランニングに勤しんでいます。なるほど春休みは、こうしたブカツに励む人々にとって、冬の間ままならなかったトレーニングの遅れを取り戻す絶好の機会なのでありましょ…

教育雑記帳(50) 住所は書けますか?

これは結構見落としがちなところなのかも知れません。 検定試験にやってきた子供達、試験のはじまる前に解答用紙を引っ張り出させて、自分の名前等の必要事項を書かせていると、必ず鉛筆が止まる子があります。 明らかにその目がヘルプと言っているので行っ…

教育雑記帳(49) 三つのミス Ⅲ

三、分かっているのに間違える 私が思うに、もっともタチの悪い「間違い」がこの「分かってたのに間違えちゃった」というものです。巷ではこうした類いの「間違い」を指して「ケアレスミス」と呼ぶことが多いわけですが、正直なところ「ケアレス」に対するケ…

教育雑記帳(48) 三つのミス Ⅱ

二、無軌道な間違い 「どうして間違ったのか」が一目瞭然である間違いの対極にあるのが、この「無軌道な間違い」であります。つまりは「どうして間違ったのか」学習者も指導者も分からない、計算や論述の過程からその思考回路が一向に見えてこない間違いがこ…

教育雑記帳(47) 三つのミス Ⅰ

学習者はその学習過程において、まず以て必ず「間違い」ます。一度も転ばずに自転車に乗れるようになるのが珍しいように、未習熟な学習者が学びの道中においてコケることは、当たり前のことなのです。 そんな学習者に対して「間違えるな!」と教える輩はとり…

教育雑記帳(46) 助け船はドロ船? 後編

一から十までつぶさに指示を出して課題なり何なりを達成させるということは、達成に至る別のプロセスや解法から目を背けさせることでもあるのです。そうなってくると「教えられる以外のこと」に対して可能な限り鈍感であることこそが、寧ろ「優等生」の条件…

教育雑記帳(45) 助け船はドロ船? 前編

学校の先生ごっこと称して、子供が教員と生徒役をかわりばんこに演じているのを見たことがあります。 そこでは決まって教員役の子供が「○○ちゃん、ちゃんとしなさい!」と檄を飛ばしていたり、「ここは、こう! 次にこうやって、こうしなさい!」と、普段言…

教育雑記帳(44) レッテルを貼りますか? 後編

「発達障害」とは各能力値(パラメーター)のアンバランスであると私は理解しています。健常児と呼ばれる子供より特化した部分もあれば、そうでない部分もある。それを知って、最善の策を講じるためにこそ診断はつくのであって、その子の教育はさらに質の良い…

教育雑記帳(43) レッテルを貼りますか? 前編

自分の子供が「ちょっと周りに合わせられないようだ」「自分の手にはどうにも余ってしまう」という焦燥に駆られた親が、思い詰めた末にやってしまうのが「レッテル貼り」という現象であります。 どんな「レッテル」を貼るかと言えば、すぐさま大きな病院のさ…

教育雑記帳(42) 主語を突き止めろ 後編

教育における答えは、いつも単純明快であります。だがしかし、それを実践に移すにあたっては、指導する立場にある人間の、骨太な理念と忍耐が必要となります。そしてこれは、家庭学習においても同様です。 「うまく説明が出来ない子」に必要なのは国語のお勉…

教育雑記帳(41) 主語を突き止めろ 前編

「この子は育ったなぁ」と思えるのは、大人相手にきちんと話が出来るようになった子供であります。 家の事情で一日分の宿題が出来なかった時、宿題を忘れてきてしまった時、親に言づてを頼まれた時に、「ふにゃふにゃ」言っているばかりで一向に要領を得ない…

教育雑記帳(40) 手もと九割 後編

教育現場に居合わせる人間だからこそ出来る仕事をしなければ、指導者の立ち位置は将来的にタブレットに場所を明け渡すことになるでしょう。 書かれた答えを見ることは誰にだって出来ますが、その答えが刻まれるまでの「間」に立ち会えることこそが、指導者と…

教育雑記帳(38) 英語のはじめ時 後編

そもそも、こちらの指示や学習のアドバイスすら、ちゃんと伝わっているのだか定かでない段階にある子供に、英語を習わせるなんてことは、愚かしい倒錯に過ぎないのです。 向こうの言葉を覚えるならば、それに対応する母語という基礎がしっかりと出来上がって…