かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(45) 暮れのこる雲に Ⅰ

 暮れのこる雲のさそうようで、遠回りして帰ることにした。

 何ということはない。おわりかけた日曜に用事を思い出して隣町まで出かけて帰ってきた、ただそれだけの話である。

 時間を優先するのであれば、来たとおりに真っ直ぐな国道を帰ればよい。稲の穂はすでにして枝垂れ、中にはいくばくか黄色の兆しだした田もある。昼日中の暑気は猛烈だったけれど、安らいだような風が穂をゆらして、私のまわすトラックの窓辺にもそれが届けられる。

 クーラーは付けない。グールドの弾くハイドンが聴けなくなるからである。かわりに窓を手動で全開にして、肘なぞをその窓枠に掛けつつたんぼ道を走っていると、何も遮るもののない中空にひとつ、如何にも夏の夕暮れらしい入道雲が湧いていて、西の山に沈もうとする残光を浴びている。

 ここを曲がれば往来喧しい国道へ出て、ここを曲がらなければどこまでも平坦な農道が続いている。そっちはどうも遠回りではあるのだけれど、夏の暮れ方は人をして合理的なものの向こうにある何かを唆すものらしい。

 ヒグラシの一つも鳴けばよいが、そうは問屋が卸さない。ヒグラシの縋る木立さへまばらな、一面の田んぼ路である。その一本道はあたかも教科書の遠近法よろしく、入道雲とその路の遙か突き当たりを焦点としてどこまでも続いてゆくかのよう。

 速度をあげて走り抜けるのも無粋であるし、願わくはこのままうらうらとこの路をそぞろ歩きのようにして走行していたくもある。夏の夕暮れの不思議なゆかしさが私を捉えていた。

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