六ヶ月を迎えた我が子の頸は、あの頃のぐちゅぐちゅの真っ赤っかがウソであったかのようにキレイになった。
もちろん、お医者さんをはじめとする医院のみなさんのセカンド、サードの助言と、自分で言うのもなんであるが我々夫婦が一日二回せっせと洗って、保湿と塗り薬をせっせと塗りたくったことも改善の一つの要因であろうが、最終的には時間が全てを解決したようである。
二ヶ月、三ヶ月のうちはひたすらむちむちで、およそ真空パックみたいに密閉されていた頸は、四ヶ月、五ヶ月ごろになると次第に人らしいすっきりしたフォルムを手に入れはじめたのである。そうした成長が泥沼化した湿疹とぐちゅぐちゅの坩堝に、素敵な光と風を呼び込んできたらしい。
毎日見ていると、その連続的変化には一向疎くなるものだが、頸の赤みが劇的に退いてきた時期に、かつての写真を閲覧して驚いた。曙から寺尾、いや小錦から舞ノ海くらいの肉付き的な違いがそこに厳として確認されたのであった。心なしかその頃からミルクの飲みも良くなったところには、やはり彼の中で頸の不調が少なからず不快な要素としてあったのだろう。
ベテランの看護婦さんが言っていた「もう数ヶ月の辛抱」はホントであったけれど、当事者であるわれわれにはその数ヶ月はまことに長い、いつ終わるとも知れぬ戦いの日々であった。治ったと思えば再燃し、再燃したかと思えばまた治りかける・・・。あの赤い発疹にオトナ二人が見事に翻弄された四ヶ月であった。
現在無事に六ヶ月を迎えた我が子は、ベビーバスを卒業し一丁前の湯船に浸かっている。つるんつるんと撫でるように頸を拭いてやると「へへっ」とほくそ笑む。まるで「あの頃はエライことだったな」とでも言っているかのようである。
されどやっぱり一日一度は顎を挙げてしげしげとかつての古戦場を確認する私たちがある。
「頸は燃えているか?」
「大丈夫みたい・・・。あれ? ちょっと赤いよ?」
汗疹(あせも)の侵攻は頸の遙か後方から、じわじわと迫っていた。