かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

国語の時間「絶対と相対」

 生徒のみなさん、「絶対」とは何でしょうか。「相対」とは何でしょうか。

 ふむ「絶対とは他に対立するものが無い状態」で「相対とは他との関係の上で成立するもの」と仰るか。その通り、辞書的な意味としては申し分ありませんね。

 でも、ぶっちゃけそれってどういうことでしょうか? みなさんはこれを小学生にうまいこと説明することが出来るでしょうか?

 辞書的な意味は了解していても、その言葉をきちんと自分のものにしているかどうかは、また別の話なのです。ですからそこで「例えば?」という私の無茶ぶりに対して当意即妙に返答が出来ないようでは、その言葉が「分かる」状態とは言えないのです。

 気分によって変わることもありますが、私ならこんな感じで「絶対」と「相対」の話をします。

 近頃はえらく暑い。しかし「暑い」って何度から暑いと言うのでしょうか。そんなことは主観によるものだからフツーは「何度からが暑い」なんて言い方はしないものです。

 しかしこの際だから、ここにはっきりしなければ気の済まない人間を登場させてみましょう。

 彼曰く「気温が三〇度を上回れば暑い」とのこと。これが一つの「絶対」的な基準です。三〇度でなければ暑くはないのだから、二九度なんて暑いとは言っていられなくなるわけです。

 そんなある日、「暑い」の絶対的な基準を生きる彼が炎天燃えるような往来を歩いてきて、汗だくでウチの教室にやって来たとします。ウチの教室ときたら、断熱材なしの吹き抜け構造で、いくら冷やしてもなかなか快適な温度にならないことで有名です。

 そこへ入ってきた彼が入りしなに「おっ、涼しい! ここは暑くないな!」と歓喜の声を上げますが、教室内の温度計には三二度とあって「絶対」の基準を重んじる彼が「しまった!」と哀しげな声を上げる。

 お分かりでしたでしょうか。これが「相対」の考え方です。教室はクーラーがガンガンでも三二度、しかし炎天からここへ入ってくれば「暑くない」ということになります。

 授業中、眠いときに自分より眠そうなヤツを発見して「アイツよりかは、眠くないな!」と思うと目が覚めた経験なんかも、ちょっとした「相対」体験と言えるでしょう。

 われわれは関係の中で生きています。直ぐに他人と比べてしまうのはいただけないけれど、「Aに比べてB」「Bに比べればC」「Cに比べるとA」・・・というように、「これが絶対!」と言い切れないことの方が多い世界を生きています。

 たとえ「これが絶対!」と確信することがあったとしても、その絶対はひょんな機会に相対化されて「こんな考えもあったのか」と、それこそ違う視点からかつて自分が「絶対」と思った事象を考え直すことだってあるでしょう。それこそが、真に学問をする態度だったりするのです。

 では最後にこのパラドックスをご紹介しましょう。

 とある相対主義者が言ったとさ。「絶対」なんてものはないのだ。と。