かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(7) 謝るならば

 教育実習に行った経験がある方ならば、実習日誌を落っことすヤバさは十分にご承知でありましょう。何せこれを完成させて提出しないことには、実習に行ったことにならず、単位も教員免許もおりないのです。

 最終日の打ち上げで、呑むペースを完全に乱した私はグルグル回る世の中に手こずりながら、実習日誌の入ったカバンを自転車のカゴに載せ、まさに酩酊状態で帰宅の途に就いたのでありました。どこをどう通ったのかさへ分かりません。

 ようやく家居に帰り着いて電気を点けたけれど、まだ世の中がぼやぼやしている。不思議に思って目を擦ると眼鏡がない。そして国分寺を出る時には確かにあったはずのカバンもない。

 どこかでひどく転んだと見えて、アンパンマンみたいに腫れ上がった顔で、翌朝学務課に出頭した時の暗澹たる気分は今でも鮮明に覚えています。それから担当教官、学校の各方面に謝罪につぐ謝罪をして、何とか代替措置をとってもらい、留年をまぬがれた私なのでありました。

 今回私が諸君に語った二つの「やっちまった」案件が教えているのは、第一に呑んでも人に迷惑をかけない。第二に、呑んだら自転車に乗らない。そして第三に「やっちまった」と思ったら、誠心誠意謝罪することに尽きます。

 自分に非があると分かったら、ジャンピング土下座をするくらいの勢いで、その「過ち」を引き受けなければなりません。天網恢々疎にして漏らさず、どんなに隠していたって、いつかは必ず露見して、よっぽど酷い報いを受けるものです。

 何でも、聞くところによると私と同日に日誌を落とした者がもう一人あったそうで、その人物は落としたことが分かっていながら、しばらく黙っていたせいで留年する羽目になったのだとか。

 若いみなさんは、これから様々の形で「やっちまった」に遭遇することでしょう。それは誰しも避けては通れぬものなのかも知れません。「過ち」を未然に防ぐ努力は、もちろん大いに結構なのですが、それと同時に私たちは「過ち」が起きてしまった後、自分がどう動くべきかという心構えもしておかなければなりません。

 「やっちまった」。その時、そこに露出するのは、その人の生々しい人間性なのです。塾生のみなさんには、そんな危機にあって、きちんと自分の「やっちまった」を認めて謝れる人間になってほしいと思います。

 そして、くれぐれも政治家のマネだけはしないように。