かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛独読(6)「くまさぶろう」を読む#3

二、孤独なるストレンジャー

 くまさぶろうの「どろぼう」スキルは、前回確認した通り、どうにも人間離れしたところがあります。

 前半部では物を盗み取ることに長けたスキルが、後半部では何と「ひとのこころ」を盗み取るまでに成長(?)しているのです。

 それはいったい、どういうわけなのでしょうか? 絵本だから、お話だから、と言われてしまっては元も子もないのですが、私はあくまでテクストにその答えを求めたいと思います。

 さて「くまさぶろう」という人物は、冒頭から終わりまでずっと一人ぼっちの姿で描かれています。もちろん「どろぼう」ですから、単独でこっそり行動を起こさねばならないわけです。しかし、テクスト中くまさぶろうは一度も、誰とも会話をすることもなければ、誰かと視線を合わせるということもないのです。

 また、そんなくまさぶろうが前半部で盗み取る物を見ても、シャベル、コロッケ、傘に少年のミニカーやぞう、といったようにおよそ一貫性がありません。それはなんとも場当たり的な「どろぼう」に見えますし、そこから彼の所在なさが垣間見えるように思えます。

 このように「まち」に住んでいながら孤立していて、どうにもその場所から浮いている。こうしたスタンスこそが、くまさぶろうの人間離れした力を説明するにあたっての重要な鍵なのではないでしょうか。

 そこで今回借用したいのが〈異人〉という概念であります。文化人類学、ないしは民俗学において〈異人〉は共同体の周縁部に身をおき、時に超常的な力や能力を発揮しながら、共同体内部を活性化する役割を負う存在を指します。

 例えば『三年寝太郎』のように、仕事もしないで日々寝てばかりいる大男が、ある日突然起き出して村の危機を救う話などは、その典型でありましょう。共同体にとって無用と思われた存在が、マーベルのヒーロー的な力を発揮して共同体の危機を救うという話は、みなさんもひとつふたつ聞き覚えがあることかと思います。われわれの知るヒーローやアンチヒーローはいつだって、外からやってくるのです。

 そうして見ると、共同体において浮いた存在であるくまさぶろうの孤独や、彼が持っている人間離れした「どろぼう」のスキルは、まさにこうした〈異人〉と通じるところがあると言えるでしょう。

 ですが、前半部の時点にあって、彼はまだ「いえ」を持っているわけで、完全に共同体の外側にあるとは言い切れません。彼は何と「まち」に定住していたのです。

(引用)
 くまさぶろうは、とうとう やどなしになって、まちなかを うろついていました。


 動物園から「ちぢめて」盗んだぞうが元のサイズに戻った拍子に、彼の「いえ」は木っ端みじんになってしまいます。そこから彼は「やどなし」となって「なんねんか」が経過し、ついに彼は「ひとのこころ」を盗む「どろぼう」へと変化するのです。

 この変化を説明するものこそが「やどなし」、つまりは「まち」に定住し得なくなったくまさぶろうが共同体から放逐されたという事実であり、それによって彼は、一段ギアをあげた〈異人〉としての特質を発揮するところとなったと読めるわけなのです。

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