かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

育児漫遊録(11) 沐浴エレジー Ⅳ


 父がこんな不手際ばかり重ねているにも拘わらず、この子は泣きもせずぐずりもせず、口を真一文字に結んで何を思うのだろうか。

 わが手の中でぐにゃぐにゃしている、このやわらかな物体は得体の知れぬ意志のようなものに突き動かされるかのように、時折ギクリと身体を硬直させたかと思えば、だらりと脱力してともすれば湯の中へ頭を墜落させそうになる。私の気づく限りでは既に二、三度耳朶を湯に没しているが、それ以上にシャボンをかけている本体が湯の中へ落ちてしまいそうで、そちらの失点に構っている余裕すらない。

 何たる不体裁、何たる準備不足。それによってビシバシと鞭打たれながらも、入浴というイベントは現在進行形で進んでいる。最早ここで引き返すことも、いったん作業を中断することもままならない。何たって湯は刻一刻と冷めていっているし、このままでは生後数日で風邪を引かせる羽目になる。

 たといそれが下手な手であっても、何とかしてこの子の前面を洗い、何とかしてこのぐにゃぐにゃの身体をひっくり返して、背中を洗ってやらねばならない。出来ないでは済まされぬ、そうせねばならないのである。

 人生の厳しさはこんな所でやおら私を襲撃してくるらしい。そうして色々血走っている父親を他所に、わが子は湯船の中ですうすうと寝息を立てている。この子はどうやら風呂が好きらしい。自分がこれほどアブナイ目に遭わされているというのに、知らぬ顔して寝ているわが子はどこかお地蔵さんのように見えなくもない。

 よく暖房した浴室で、私は大いにヘンな汗を掻いた。おそらくあっちこっち洗えていなかったのだろうが、初日の風呂はようやくのことで「アガリ」を迎えたのであった。この如何ともしがたい焦燥と哀しさとが入り交じった気分を、私は生涯忘れないことだろう。