ここで本を読んだり、文章をものしたりすることが多くなった。
産婦人科の駐車場。ここには駐まっている車の数だけ物語がある。新しい我が子を迎えに来た父親のワゴンには、真新しいチャイルドシートが据えられ、今し方車から出てきた初老の女性は、ランドリーバックを抱えている。
出産が近い妊婦の身内の方であろう。何もなければこのまま本人と対面して、ほっと一息つけるのだろうが、今のご時世そんなこともままならない。病院の玄関先の受付で荷物を手渡して帰って行く。さぞや味気ないことだろう。
十二月の声を聞くと、私の妻を含め妊婦さん達は一層着ぶくれして病院の玄関を入っていく。私も最近は腹の膨れ方から、何ヶ月くらいだろう、なんて見立てが出来るようになったけれど、そんなことを得意がってはいられない。
現在妻の腹の中には、一キロになる胎児が入っており、それを抱えて彼女は日々の生活を送っているのである。カンガルーが早々にその大変さを放棄した気持ちも分からないでもないが、まさに「母子一体」の時間をながく味わいうるのは人間ならではの特権なのであろう。
病院から出てくるお母さん達は、けっこう穏やかな顔をしている。大事そうにお腹をさすりながら、心の内で「さあ、帰ろっか」なんてことを言っているのではないかしら。
隣の車にエンジンがかかる。え? 人乗ってたっけ? と思いきや、滑るように車が玄関先に停車し、母子ご一行様を迎える。
旦那さんもあれば、ご両親いづれかの場合もある。あっちのパパさんも、こっちの新米じいちゃんも運転席で首をながぁくして、わが子わが孫、わが妻わが娘の帰りを待っている。