かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛独読(1)「カムカムエブリバディ」

 〈読む〉こととは、ひとつのテクストを分析し、解釈を生産する試みです。それはテクストに使用された言葉を用いて、新たな意味を生成するクリエイティブな作業である反面、ともすれば恣意的な独りよがりに陥りかねない危険性も孕んでいます。頼るべきは、自分の「面白い!」を皆と共有するに堪うるロジックであり、表現です。
 この「蝸牛独読」(カギュウドクドク)では、文学テクストに限定せず、〈読む〉ことの愉しみを紹介し、それを皆さんと共有して参りたいと思います。如何せん、かたつむりのスピードにはなりますが、どうかそこはひとつご容赦ください。

 最初に取りあげるのは、先日放送終了した朝の連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」です。三世代、百年の物語として紡がれたこのドラマは、三人のヒロインによる全く異なるカラーの出し方がまさに出色でありましたが、その通奏低音として伏流する「英語」をめぐる物語が、最終的に三人を結び合わせる鍵となったことは言うまでもありません。
 面白いのは、この「英語」に対するアプローチが三者三様で、それぞれの学びにわれわれが見習うべき特長があることです。何回の連載になるかは未定でありますが、とりあえず今回は「英語」に焦点を絞りながら、〈読み〉を進めていきたいと思います。

一、安子と英語
 安子の場合、彼女にとっての英語は、夫となる稔と心を通わせるための重要なツールであり、それが二人の親密さを担保する機能を果たしたと言えるでしょう。インテリである稔のすすめでラジオ英会話を聞き、そこから彼女の学びがはじまります。なにせ、英語が思いを寄せる人とのつながりを強化しているわけですから、動機付けは抜群ですし、その学びが主体的なものとなるのは自然なことでしょう。
 しかし、そんな夫との死別後に彼女は日本に駐留していたロバートと結ばれることになり渡米。いやはや、これには心底驚きましたが、この大胆な逃走線を彼女に用意したのも、勿論「英語」なのです。
 つまるところ、安子にとっての英語は、心を通わせる人との精神的紐帯を担保するものであったと同時に、彼女の閉塞しかけたかに見えた世界を新たに開く意味合いを持っていたと言えます。これは後年、アニー平川として来日した彼女が、実の孫であるひなたに向けた「英語の勉強を続けなさい、それがあなたを思いもかけないところへ連れて行ってくれる」という台詞からも確認できます。これは外ならぬ安子自身の実体験からにじみ出た言葉でしょう。
 何がともあれ、安子がこのドラマで一番ぶっ飛んだ存在であったことは確かです。しかしながら、安子がそっと娘にまいた「英語」という種こそが、後に「思いもかけない」きっかけで、彼女自身を決別した過去へと連れ戻すことになるとは、誰が想像し得たでしょうか。(次回へ続く)