かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

軍隊学校之記(6) 収容所にて

 いまだ盆も明けたばかりというのに、そこにはコスモスが咲いていて、朝な夕なにはその高原に涼やかな風が吹きおりた。ここへきて幾日目になるだろうか。雄々と聳える岩手山が照りかえしてくる健康的な朝日は、収容された人々の目にはまばゆ過ぎた。われわれは外部と完全に隔絶された膜の中にあって、いつ果てるともない薄明のなかを泳ぐように生きていた。
 これは「風立ちぬ」的なサナトリウムの記述ではありません(笑)。これは私たちが年二回にわたって缶詰にされた「岩手山青少年自然の家」という至極健全な施設を回想したものです。その回想が、こんな短調の記述にならざるを得ないのは、この行事が苦痛より外の何物でもなかったことによるのでしょう。ここまで読んでくださっている読者諸氏はもうお気づきかと思いますが、一体そこへ何をしに行くのかと申しますと、お勉強をしに行くのです。朝から晩まで。
 五泊六日の勉強漬けで逃げ場はないし、時間の感覚だって分からなくなる。だから三日も経てば、横の奴に「きょう、何日目?」なんてタイム・ショック的な質問をしても色んな答えが返ってきて困る。こんなことだから誰彼ともなくこの勉強合宿をして、強制収容などと物騒な名前で呼ぶようになりました。
 朝四時半に起床して六時の百問テストに備え、朝飯前に模試の過去問を一発やる。キラキラ光る岩手山を呆然と眺めつつ、青じそドレッシングかけすぎのサラダを噛んだ後、再び別の教科の百問テスト、模試の過去問、その解説の授業を延々と繰り返す。一体何のレシピだろうと思うけれど、そのうち暗記が間に合わないからと言って、風呂に入らない奴なんぞも出てくる。追い込まれると人間は、食う寝るより外のことをかくも簡単に切り捨てるようになるものか、と少なからざる畏怖のまなざしで、教官に風呂へ連行される彼を見守ったものでした。
 しかしながら、睡眠を削ってひたすら無謀な暗記をしたところで、そこに激烈な学力向上は見込めません。ですから学校側の意図としてはこの合宿を「これからガンガン勉強するぞ!」の起爆剤にしてほしい、というところにあったのでしょうが、既にガンガンやっている人間にとってはいい迷惑なわけで。前回ご紹介した50キロ強歩然り、軍隊学校の精神修養にはうんざりするほど付き合わせられましたが、この収容された経験から得たものは、人間こんだけ勉強しても死なないということ、そして「魔の山」をおりたシャバの飯は美味く、誘惑は驚くほど多いということでした。

〈補記〉
 今週(令和四年四月現在)わが私塾の弟子が、この「勉強合宿」に行くという。コロナも明けやらぬのに、わざわざ県境をまたいで連れていかれるという。さすがに私も軍隊学校の常識を疑ったし、わが弟子および後輩をわざわざ危険に晒す行為に怒りすら覚えた。どうぞ無事に帰ってきておくれ、とも言ったし、何となればホントの意味で自分の身を守る行動を取るべきである、と伝えて昨日はわかれた。

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