かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

些事放談 ランドセル今むかし

 昭和十年生まれ、私のおばあさんは坂の上からランドセルを投げられました。

 周りがみんな風呂敷包みを提げている中で、一人だけ革製のランドセルを背負っていたわけですから、まぁ、それも仕方がない話で。

 時代は下って現在、ランドセルを背負っていない子供など、どこを捜したって見つかりません。

 はち切れんばかりに膨れたランドセルと、水筒と、体操着の袋を背負ったり掛けたりしながら登校する彼らの姿は、さながらどこか山登りに行く風情で。これを称して「登校」と言うのだったかしら、と一瞬ホンキで信じてしまいそうになる自分がいます。

 それでも、自分が子供の頃もこんな感じで、人々はランドセルに背負われていたかしら。そもそもランドセルはあんなに大きかったかしら。

 と思い返すと、確かに黄色い帽子の頃は誰しもそんな感じではありましたが、高学年にもなるとランドセルはお煎餅みたいにぺしゃんこになって、大きくなった彼らの肩に引っ掛かっているのが当たり前でした。

 そして、何よりあの頃のランドセルは、ぺしゃんこになれるだけの余裕がありました。

 今の子供達のランドセルを、みなさんは抱えてみたことがおありでしょうか?

 喩えるならば、それは漬物石みたいなずっしり感で、いったい何が入っているのかと尋ねてみたくなる重さです。まず尋ねたところで、内容物など教科書にノートと幾ばくかの副教材なのですが、問題はその大きさ。

 かつてはA5サイズくらいで収まっていたのが、今ではみんな巨大化してしまってA4サイズが普通になってしまっているのです。学習内容が多くなって、ページ数が増えているとは言え、それ諸共にサイズアップしてしまっては、ひたすら重くなる一方です。

 子供は老眼とは無縁なのだし、そんなに大きくしないでもいいのじゃないか、と思うのは私だけなのでしょうか。

 人生は重き荷を背負って遠い道を行くようなもの、と誰かが言っていましたが、別に子供にそんなバカでかくてムダに重たい荷を負わせたって、一文の得にもならないことは分かりきっています。

 大きくなる教科書に合わせていれば、ランドセルはいつまでも巨大化していくわけです。もう少し彼らの視力を信じて、教科書のサイズダウンを検討すべきなのじゃないか、と思う今日この頃です。