新年度がはじまった教室は、二三人の顔ぶれが変わったばかりで、およそこれといった新鮮味がありません。
しかし、教室のゴミ箱はいつになく満杯であふれかえっている。入ってきた担任が、それを見て愕然とする。
「なんで教科書捨てたの?」と尋ねるから、クラスの誰かが応えて曰く、
「だって、使わないでしょう?」
確かにそうなのです。教科書など、入学してこの方使ったことがないのだ。では、何を使って授業をしていたかと言えば、それは参考書であり、先生お手製のプリントでありました。
特に数研出版の「黄チャート」は、私たちにとって歴とした数学の教科書で、申し訳程度に購入する数学の教科書など、一度も開けて見たこともありませんでした。
つい先日、昔使った参考書を整理していると、副教材と一緒にビニールで梱包された数学の教科書が出てきました。まさに新品未開封。ネットで売ろうかしら、とも一瞬思いましたが、あの頃とは指導要領も内容も変わっているわけで、どだい無理な話。
それでも、これが残っているということは、かつての私が四月のゴミ箱へインしておらなんだということ。なるほど、生来のしみったれ根性でしょうか、本と名の付くものを無碍に扱ってはならぬという一抹の倫理観でしょうか。
同級がポイポイ教科書を捨てまくる中で、後生大事にそれを持って帰って本棚の肥やしにしていたかつての自分を、ちょっとばかし褒めてやりたくなったものでした。
しかし、よくよく考えてもみれば、教科書も振り捨てて、参考書に受験への最短ルートを見いだすやり方は、実に「予備校」らしいわけで。そもそも出発地点が全体的に低いのですから、そうでもしなければ、という実情があったのだと思います。
ただ、受験におけるムダを全部省いたら、テレビ局が来たりして大変なことになりますから、止めておいた方が良いことは衷心から申し上げる次第です。
もちろん現在、私の塾生はじめ後輩たちは、日々「体系数学」と首っ引きで頑張っているようですから、そんな心配はいらないことでしょうし、四月のゴミ箱も普段通りの秩序を保っていることでありましょう。