かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

軍隊学校之記(16) 恩師とは何か

 「○○先生、そして○○先生には、数え切れないほどの・・・」というのが、小金をもった有閑老人の自伝における決まり文句であります。

 だってその歳になって自著に感謝の意を伝えても、そうした素晴らしい先達は既にして鬼籍に入っておられるわけであり、第三者の私たちがそんな話を聞かされたところで「へぇ」というのが関の山です。

 かつて「序」において掲げたお約束通り、私はそうした金持ち爺さんの自伝とは別の路線を歩まねばなりますまい。

 されど「恩師」なんていうのは、多分に主観的要素を孕むワードであって、自分でも何でまたそんなタイトルを付して稿をはじめてしまったものか、ここまで書きながら悔やんでも悔やみきれません。

 仰げば尊しと歌われる、世に言う素敵な教師とは何でしょうか。「授業がうまい」「親身になって相談に乗ってくれた」「困った時に助けてくれた」・・・といった個々の要素が一つでも多く重なり合っていれば、それは「恩師」と言えるのでしょうか。

 残念ながら、私はそうは思いません。なぜなら授業が上手な腕利きは、わが軍隊学校にたくさんいらっしゃったし、進路相談ともなればどの先生方も目の色を変えて相談に乗ってくれたものです。

 しかしながら、そんなことをしてもらった記憶はありつつも、バチ当たりな私はそうした先生方の事をあんまり覚えていないのです。では、何だったら覚えているのかと申しますと、それは問わず語りに昔を語ってくれた一人の「オトナ」と、その口から語り出された「物語」に外なりません。

 軍隊学校だけがそうだったのかも知れませんが、進学校というものは、とかく目先の数字に気を取られがちなところがあります。そうした毎日を過ごしていると受験だけがゴールのように見えてきて、その先の展望が見通せなくなるなんてことも起こってきます。

 そんな時に、ひょいと凝り固まった視野を解きほぐしてくれたのが、一人、二人の素敵なオトナが語ってくれた、自身の大学時代の話であったり、「絶対マネすんなよ」な失敗談でありました。 

 大学へ進んでから「ああ、あの時の話はこのことを指していたのか」と感嘆することも一度ならず。それがあったからこそ、私は予期せぬプラン変更の先にも、大学生活を送る自分の姿をイメージすることが出来たし、大学できっちり学問に打ち込む心構えのようなものを準備することができたわけです。

 私にとっての「恩師」。それは不確実な未来に、一つの貴重なモデルを示してくれた、決して飾らない等身大の「物語」をしてくれたオトナたちなのでした。
 
katatumurinoblog.hatenablog.com