かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(40) 手もと九割 後編

 教育現場に居合わせる人間だからこそ出来る仕事をしなければ、指導者の立ち位置は将来的にタブレットに場所を明け渡すことになるでしょう。

 書かれた答えを見ることは誰にだって出来ますが、その答えが刻まれるまでの「間」に立ち会えることこそが、指導者としての特権なのではないでしょうか。

 答えを書く手がどれほど迷いのない速度で動いているか。間違いを訂正する際に、きちんと間違った箇所だけ修正しているか。へんな計算のクセが付いていないか。指を封じられたせいで、心の中で数えたりしていないか・・・。

 このように子供達の手もとからは、実に多くの情報を読み取ることが出来るのです。この情報をもとに、引っかかっているところを特定したり、次の単元へのゴーサインを出したりと、机間巡視はそのために欠かすことの出来ない仕事なのです。

 まっとうな指導者とは何か。それは、点数だけでは分からない勘どころを捉えることに長けた人物なのだと私は思います。数値化されることのない情報を処理しうることこそが、機械には代替不能な、人間の真骨頂なのではないでしょうか。

 模試の結果や何かが返送されてくると、そこに自分のニガテとされる単元や箇所が書いてありますが、イマイチそんなのはピンと来るものではありません。

 そこの単元の問題を落としたのは、見りゃ分かることなのであって、自分が一番知りたい「引っかかっている」ポイントは、機械による分析やなんかでは発見されないのです。

 かつて、そんな時に感じた「何だかなぁ」な気持ちが、結果的に私をして今の仕事をさせ、生徒たちの鉛筆やシャープペンの先を観察する今のスタイルへと結びついているわけであります。

 「手もと九割」。百点のプリントが覆い隠してしまう些細な「引っかかり」を捉えるために、今日も私は泥臭く机の間を嗅ぎ回るのです。