お子さんは、待てますか? そして、どこまでガマンが出来ますか?
常々、私は「待つこと」そして「ガマンすること」こそ、幼時に付けておく必要のある能力だと思っています。これが出来るか否かによって、子供の学習進度には大きな開きがでるのです。
例えば教室に来た子が、初出の勉強をはじめるとします。単元が変わったことによって、昨日まではスラスラ解けていたプリントが、どうにも上手く進まなくなるのは自然なこと。
たとえグロッキー気味になりながらも、最後まで解ききることが出来た子は心配ないのですが、そうでない子となると、初出単元の要諦をのみ込むのに倍以上の時間と回数を要します。
そんな子は、まず以て例題を見て、自分でやり方を試行錯誤してみる、ということが出来ませんし、こちらのアドバイスに耳を傾けることもままなりません。つまるところ、分からない問題と向き合うにあたっての堪え性がないのです。
だからそんな子は、分からないでいる時間を「ガマンする」ことも出来なければ、正しいやり方をレクチャーされているにも拘わらず、それを最後までじっと聞いていることすらかないません。言っているそばから、無闇に手を動かして間違いを量産してしまう。これでは何のための勉強であるか、分かったもではありません。
「待つ」こと「ガマンする」ことはいずれも、親子の信頼関係によって培われるものであります。「これを辛抱して頑張れば、必ずそれが報われる。」「今はまだ上手くできないけれど、辛抱してコツコツやっていれば何とかなるはずだ。」という体験の積み重ねによって、「待てる」子供が育つのだと私は思います。
大事なのはまず親が妥協しないことです。子供がめげそうになっている時に、そこで直ぐと折れてしまうと、自然子供は「ああ、こんなにムリしなくてもいいんだな」と勝手に自分の限度を低く定めてしまいます。
もちろん、子供が完全に折れてしまっては元も子もありませんが、親の責務はそのギリギリを見極めて、きちんと負荷をかけることにあるのです。これぞまさしく、子供と親の「ガマン」比べ。親の度量の大きさが試されるところなのであります。