かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(42) 主語を突き止めろ 後編

 教育における答えは、いつも単純明快であります。だがしかし、それを実践に移すにあたっては、指導する立場にある人間の、骨太な理念と忍耐が必要となります。そしてこれは、家庭学習においても同様です。

 「うまく説明が出来ない子」に必要なのは国語のお勉強を「正しく」こなすことであり、もそっと突っ込んで申せば、「何が、どうなった。」の話形を完成させることと、それを元に質問されたことに対して正確に応答する力を身につけることなのです。

 何となく国語を勉強している子は、何となく分かったつもりで、何となく国語の学習を修了していくわけですが、フタを開けてみればその実態はなかなかどうして無様なものです。作文はガタガタであるし、読解問題の記述だって自分でも意味不明な解答を「何となく」書いて、お粗末な結果になるのが関の山です。

 「正しく」国語を学習することとは、教科書やプリントのお話しを暗記するほど頭に入れて、出来レースみたいな「定期テスト」で八十点やそこらを取って得々とすることではありません。言葉という形で伝達されたものを正確に理解し、それを再び言語表現という形でアウトプット出来てこそ、「正しく」国語を学んだことになるのです。

 質問されたことに対して正確に応答するためのトレーニングは、そうした国語の力を養成するにあたって不可欠なものであり、質問に対して「何が、どうなった」か、あるいはその因果関係を言葉によって整理して説明する、という鍛錬を繰り返すことによってしか、「うまく説明が出来る子」は育たないのです。

 ですからまずは、質問に対する答えが整うのを待つことから始めなければなりません。質問も読まずに答えだけ書いたり、口頭で尋ねたことに対してあさっての答えが帰ってくるような時は、もう一度質問を読ませたり、繰り返したりしながら、ある意味子供に不退転の決意を見せるのが、私のやり方であります。

 やがて助詞によって接着されていない、山羊のフンみたいな単語が訥々と出てきたら、その都度「何が」の主語を明確にさせながら、「何が、どうなった。」という文型の成立をサポートしてあげると、案外子供は自分で納得して「正しく」分かってくれるものです。

 日本語とは、古来より実に主語が溶けやすく出来ているものであります。それはそれで、素敵な味を出しているわけですが、子供の国語力と思考力を養うにあたっては、溶けている主語をサルベージしてやることが、彼らの前途を明るく照らしてくれるように思います。