かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(61) グラグラの土台 Ⅱ


●「非積み木型」学習者

 積み木で遊ぶことが出来ない人間があるとしたら、彼はおそらくそれを積まずに散らばして満足するのではないでしょうか。

 バラバラに散乱する積み木を「非積み木型」学習者の秩序立っていない、言うなればカオス状態な頭の中と見立ててみましょう。どこまでも未整理で、どこに何のパーツがあるのやも乱雑としていて定かではありません。

 つまるところ、そうして知識を順序脈略もなく頭に入れるだけの学習者は、必要な時にそれを適宜取り出すことも出来なければ、時を経ずして散らばしたままの知識がどこへ失せてしまったことすらも忘れてしまうのです。

 そんな状態の学習者または、その親にかぎって「自分の学年の勉強を教えてくれ」だとか「もっと応用問題を中心にやってくれ」と頼まれるわけですが、およそ私のうちでは「土台がダメなのにドダイ無理な話だなぁ」という心の声が危うく喉元まで出かかる始末です。

 基礎学力の堅実な積み重ねがあるからこそ、知識は定着するのです。ただでさへ散らかっている中に、いかなるパーツ(知識)を提供したところで、そんなものは早晩無くされるに決まっているのです。それこそお月謝のムダであるし、時間のムダであるし、頭のムダ遣いではありませんか。

 「非積み木型」学習者は、その場しのぎのテストの点稼ぎのために、くだらない付け焼き刃みたいな知識なんぞ仕入れている場合ではないのです。そんなことは「積み木型」の学習が可能になれば、なんぼでも自分で対処することが出来るのです。

 背伸びしたってはじまらない。今現在の学力的な窮状は、必ず過去のどこかの時点にその原因があるのです。ですから、そこまで勇気をもって遡り、そこで不具合を来している知識をちゃんと補強してやらないことには、いつまで経っても窮状はついて回るのです。