かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

育児漫遊録(21) メリー大好き男 Ⅰ


 「そうだ、それがあったか!」

 言うが早いか西松屋へ飛んでいったのは、殊のほか赤ん坊のことに関してはなにかとそそっかしい親父である。

 彼の頭には今し方覚えた〈メリー〉という言葉がどかりと鎮座ましましていて、今すぐメリーを買いに行くべし、という極めて安直な指令を発している。これはモノに踊らされる人間の哀れむべき痴態そのものであり、こんなアホな衝動に突き動かされてばかりいるものだからAIであるとか、チャット某に取って代わられるのじゃないか、という不安にわれわれは苛まれていなければならぬのだろう。

 さはれ、クラッチを踏んでエンジンをスタートさせた彼の意志は、ある種の崇高なものに貫かれている。「我が子のため」というマジックワードは、人の親をしてよろしくアホたらしめるようである。

 朝っぱらからミルクを吐き戻した赤ん坊は、昼にかけてもいまだ元気に機嫌を悪くしていた。

 「こんな時にメリーとかあるといいのかもねぇ。」と彼の妻が言った。

 その時彼もまたちょうど「赤ん坊の頭上において、やんごとなき音楽を掻き鳴らしつつクルクルと回転する的なやつがあったらいいなぁ。」と思っていたところだったので、「メリーとは何ぞや」と妻に尋ねたところ、図らずも「赤ん坊の頭上において、やんごとなき音楽を掻き鳴らしつつクルクルと回転する的なやつ」がイコール「メリー」であることが大判明した次第なのである。

 ソシュールが言ったように、言葉とは〈意味内容〉と〈意味されるもの〉との恣意的な結合である。今まさにその二つが電撃的に結合された親父はその興奮醒めやらず、言葉を所有するだけではどうにも飽き足らなくなったのであった。

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