かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(40) ツンドク Ⅱ


 自分のツンドクを眺めていると、「あちゃー」という気分より先に「さて、次は何を読もう」という気になる。恥ずかしながら、これが読書を進める原動力となることもしばしばであり、次のが読みたいから読みさしている本を一生懸命読んでしまおう、なんて小学生じみた了見を起こす。

 とはいえ、そうして読むものだっていつかは何かの栄養になるやも知れぬし、「ああ、これが食べたい」という欲求が最上の調味料になるように、「今、これが読みたい!」と思って読む方が、それを味読する脳細胞を一層倍活性化せしむるところが大きいと見える。

 となると、私のツンドクは大所帯の家の冷蔵庫とあまり変わらないのである。何だか小腹が空いたと覗くそれのように、書庫をがさごそ漁っていると読んだ本に混じって、「アレ、こんなの買ってたんだ。」というのが出てくる。ヘタをするとその場で味見をして、気に入るとそのまま部屋へ連れて帰る。

 消費という面では、いかにも効率の悪いシステムであろうが、本には賞味期限がない。そもそも本とは知識を蓄蔵するためのものであるから、一度手もとに収めてさえおけば、いつなりとも何度でもその情報にアクセスすることが出来るのだ。

 そして不思議なことにそこに書かれている情報は、時間にともなって変化する。〈読み〉が変わるのである。これは読書の醍醐味の一つであるとともに、前に読んだ自分と今読んでいる自分とが、思想、知識等何らかの形で質的に変化していることの現れであろう。

 するとどうだろう、一度読んだ本も次に読む時には違った相貌を見せるのだとすると、私の本棚は全てツンドクということになる。これは流石に「あちゃー」という感じである。であるけれど、私は私のツンドクの山を愛し、その山をまた高くしてゆく。

 それは直ちに出かけられるちょっとした本屋であり、知的欲求を満たしてくれるちょっと効率の悪い冷蔵庫であり、その中をちょいと一泳ぎすることで素敵に私を爽快にしてくれる、実にアナログな知識の海なのである。