かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(41) ツンドク Ⅲ

 ツンドクの極意は、とりあえず買っておくことである。

 自分の専門領域であれ、馴染みのないジャンルであろうと、それがちょっとでも「ゆかしい」と感じたらとりあえず買うのです。何と非効率で不経済なやり方かと開いた口の塞がらぬ方もあるかと思いますが、これが私の本の買い方でありツンドクの山を確信犯的に堆くしてゆくやり方でである。

 何なら買う前にアマゾンのレビューを熟読して、それが有益そうであれば買うだとか、図書館からお試しで借りて読んでみるとか、素敵にスマートな方法はゴマンとあるだろう。さりながら、私にとって本を買うこととは一つの真剣勝負であり、金を出した以上はどうにかしてそこから何らかの知識や刺激を受けねば止まぬという覚悟に他ならぬのである。

 でも結局のところそれをツンドクにしてしまったら覚悟もクソもないではないか、と問われたら私は「ふうん。」と黙ってしまわざるを得ない。さはあれど私の読書量にも限界があるし、その本もいつまで本屋の店頭にあるやも分からない。

 それ故に、いつかそれを手に取る未来のための一つの投企として「ゆかしい」本はとりあえず手もとに置いておくにしくはないのだ。それはある意味で、未来に炸裂する(かもしれない)爆弾であり、確率論的にもいつかどこかでひょんな事から必要になることもないとは言えない。

 私のツンドクの山はいつもバラエティーに富んでいると言うか、とっ散らかっている。だが、それが良いのだ。

 一つのジャンルに逼塞して深く潜ることも確かに有効ではあるけれど、気を付けていないと「それ以外」に目を向ける機会が削がれてしまう。それは硬直化の一様相であり、ジャンルを横断して広い視野から物事を総合的に考える柔軟さからほど遠い在り方ではないか。

 だから、と私は改めて開き直る。ツンドクはある程度の量があってこそ、はじめて価値があるのではないか、と。