蝸牛随筆(39) ツンドク Ⅰ
またツンドクが増えた。
それは本屋に行ったからである。なぜ本屋に行ったかというと、月を跨いで各出版社から新刊が出る頃合いになったがためである。
読む本がカツカツで、活字に飢えていたからというわけでもなく、読んでいない本はわが家の書庫にゴマンとある。ヘタをすれば高校の時分に買ったまま手を付けていない本もあるし、最近寝しなに読み出したちくま文庫の幸田露伴集はおそらく十年も前に大学の生協で衝動買いした記憶がある。
なぜ、すぐに読まない本を買うのか。
それはいつか読むかも知れないし、読みたいけれど今はその時間がないからである。本との出会いは一瞬と思った方がいい。書店で目と目があって「あっ、この本!」と思った時に買っておかないと、そのトキメキは一瞬で薄れてしまう危険性がある。
一瞬を逃して薄れるようなトキメキならば、そんな行きずりの出会いなんぞ一時の気の迷いに過ぎないから、そんなのに惑わされていないで真に「これだ!」と思える一冊を選び抜くにしかず、と思われる方もあるだろう。しかし、私はこの「行きずり」の出逢いにこそ、焦がれあくがれているのかもしれない(もちろん本との出逢いにおいて、であるから悪しからず)。
なぜ、そんな行きずり本との出逢いに憂き身をやつさねば、いや限りある私の財布の中身をすり減らさねばならぬのか、と問われれば私は次のように応えよう。
それが私にとっていまの場所ではないどこかへ浮かれ出て、ほっつき歩くよすがを得たいがためではないかと思っている、と。