かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆・再考 ハリガネと教育 後編

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 「教育」にしろ「盆栽」にしろ、何かを育てるためには、将来的なビジョンが不可欠であることは前回述べた通りです。そこで今回もまずは盆栽の視座にたって、教育を考えていきたいと思います。
 さて、盆栽を一から創っていくためには、若木の仕立てに主眼を置くこと、「待つ」というスキルの獲得が肝要であると私は考えます。
 若木というのはもちろん、種から芽吹いて間もない実生苗や、挿し木をして一~三年の樹をイメージしています。この頃の樹はたいへん曲げやすく、細めのアルミ線を一巻きするだけで、足元からしっかり曲(きょく)をつけることも出来ます。
 盆栽の将来的な価値を決めるのは、まさにこの足元の模様といっても過言ではありません。しかもこれは若木のうちでないと、なかなか付けられないものなのです。いい加減大きくなってからでは、幹が堅くて曲げるに曲げられず、無理に曲げようものなら折れてしまいます。これは長じるに従って素直に「諾!」と言えなくなるオトナに見られる現象に似ていますし、子供の柔軟な頭があらゆる知識を素直に吸収することに似ています。
 われわれ愛好家は、そうして先鞭を付けた樹を日々培養しながら、一年、五年、十年という気の長いスパンでその成長を見守ることになるのですが、もちろんその間、毎日手を入れているわけではありません。それがお気に入りであればあるほど手を入れたくなる心理は、愛好家の誰しもが一度は経験しているはず。しかし、毎日のようにとっかえひっかえ針金を巻き替えたり、伸びてきた芽に次々ハサミを入れてしまっては、格好はよくなるけれど、樹そのものが弱ってしまうことにつながりかねません。ですから手を加える時は適切な時期を見計らってがっつり加えて、そうでない時は自分がかけた手間に樹が応えてくれるのをじっと待ってやることが大切なのです。
 さはれ「待つ」ということは、われわれ人間にとっては、実に難しい部類に入るものであり、それは教育においてもまた然り。子供を待たない、いや、待てない指導者をこれまでよく拝見して来ましたが、これは教育に携わるプロとしてアウトです。
 子供と自分とのあいだに出来たちょっとの「間」においてさえ、それを喋って埋めてしまうナンセンスは、言ってみれば子供を信用しておらぬことの裏返しに外なりません。そうした「間の抜けた」ことをしているうち、子供は自分でものを考えるということをしませんし、樹は成長の抑制ばかりされていぢけてしまいます。小さい頃からメリハリをつけて仕立ててやり、そしてじっとその成長を見守ってやることが、子供と樹を育てる上でのヒケツなのやも知れません。
 以上、今回は二つの観点から教育を見つめ直してみたわけですが、これはいよいよ盆栽から学ばねばな! とガッテンしていただけたのなら、これ幸いです。
 
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