1.なぜ書けなくなるのか
「見る前に飛べ」というタイトルの小説がありますが、作文を書くにあたってけっこう多いのがこのタイプ。そんな子に限って、説明も途中に「もう書いてイイの?」なんて、やたら意気込んでいる。だから、それならひとつやってみろという具合で「ええ、どうぞ」と言ってあげると、すごい勢いで書き始めるのです。
全体の展開も何も見通さないまま、「きのう、ぼくは」とお馴染みのフレーズでスタートした後は、案の上、二段落目の二行目「すごく、おもしろかったです。」で筆がびたりと止まって、虚ろな目が記憶の森を彷徨っているご様子。事故現場へ急行した私が「どうしましたか?」と尋ねると「何書けばいいかワカンナイ」と言うから、「うーん、ぼくも、ワカンナイなぁ(笑)」ということになります。
もうお分かりの通り、この子の失策は全体の構成を見る前にゴール目指して飛んでしまった、見切り発車にあります。ゴールに至るまでのプランがないからこそ、途中で推進力を失って墜落してしまうのです。
2.大事なのはネタの仕込み
このように、世の作文嫌いさんたちの大半は、書きながら困っているのではないでしょうか。こうなってしまうと、ここまで書いたネタと、無理矢理絞り出した別のネタとの間に、いかんともし難いちぐはぐ感が生じることは避けられません。それはあたかも、木に竹を接いだ不自然さであり、お客に厳しい接客業よろしく、読み手を遠ざける要因にしかなり得ないのです。読んでくれる人はいつだって「お客様」であり、彼らを「ほほぉ!」と言わせないことには、せっかく言葉を紡いで何かを表現する甲斐がありません。
ですから作文を書くときは、必ず事前に配置するネタの順序を考え、最もスポットライトを当てたい大ネタ(クライマックス)が引き立つように塩梅してやることが肝心なのです。よく学校では、そうした構成を起承転結として教えますが、これでは些か抽象的ですし、子供が腑に落ちるようかみ砕くだけで小一時間を要してしまいます。
3.お話を作るように書く
それならば「お話をつくるように書くのだ」と切り出して、その筋書きとしてのネタの配置と、オチのつけかたを練るという仕込みをきっちりしてやった方が、よっぽど書きやすいし、産みの苦しみもまた少ないはずです。例えばワークシートに洗いざらいネタを思いつくだけ書かせるだけでも、そこから自然に子供は「これだ!」というネタと、その組み立て方を見つける選定作業に入ってくれるものです。
「見る前に飛べ」でなくて「書く前に決めろ」。作文とはそのだいたいの着地点が、書き手に見えているものでなければならない、と私は思うのです。およその着地点が定まっているからこそ、われわれは言葉の世界で存分に飛躍が出来るのです。着地失敗、複雑骨折の腰折れ作文よりも、小味であるけれどもう一度読み返したくなる作文は、いつも美しく着地がまとめられているものなのです。