作文の時間(16) 読書感想文はムズイ? 前編
さて、「読書感想文」とは何でしょうか。
よくよく考えてみると、どこからどこまでが読書感想文と呼べるものなのか、私にはよく分からなくなってくるのです。
タイトルは『「ナントカ」を読んで』という感じで、その本を選んだ経緯やあらすじからはじまって、心に残った場面や自分と主人公の共通点などにふれながら、あくまで自分に引きつけた「感想」に終始するのが、よくある「読書感想文」というものだとするならば、それは果たしてオモシロイのだろうか? と私のような人間は思ってしまうのです。
まず以て、私はスタンダードな「読書感想文」を書くことが出来ないと思います。なぜなら、私の性分というか本業的な問題として「考察」に至らず一個人の「感想」に終始することを良しとしないところがあり、私にやらせてしまうとそれは「読書感想文」という名を冠した「論文」づくりが開始されてしまうのです。
果たして「読書感想文」と称して作品の〈読み〉を考察する歴とした文学畑の「論文」を提出するのはダメなのでしょうか。私はそれをダメだとは思っていません。寧ろこう考えてみるのはどうでしょうか?
そもそも「感想」を書くのであれば、その作品をきっちり読まねばなりません。ここで生じるのが誤読という問題であって、明らかに論理的破綻を来している〈読み〉をベースに提出された文章を「感想」と呼ぶことは出来ますまい。また、作品の〈読み〉が浅く、単に話の筋であるとかの皮相だけを流し読みにしたものを「感想」として提出したところで、それが何の得になると言うのでしょうか。
つまるところ、自分の〈読み〉を最小限その作文の中で展開しておいて、そこに立脚した「感想」を述べないことには、驚くほど野放図で行き当たりばったりのシロモノが出来てしまうわけであり、それは創造的にして論理的なトレーニングとしての「作文」とはかけ離れたものになってしまうのではないか、と私は勝手に危惧しているのであります。