かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(12) 男子厨房に入れ

 この間した話の中に「自分の部屋に籠もる」というのがあったので、今度は大学生の生活に話をふってみようかと思います。

 大学生となった諸君の中には、四月から一人暮らしをはじめるという人もあるでしょう。それが東京であれ仙台であれ、はたまた関西、九州であれ、生まれて初めて親元を離れて「ひとり暮らす」というのは、とても貴重な経験であります。

 私は最初、一人暮らしをする予定がまるでなかった。なかったのだけれど、退っ引きならない理由から、やむを得ず東京で一人暮らしをすることになりました。

 失意のうちに都落ちする人はあっても、失意のうちに上京する人は珍しいものです。

 それでも、全く以て自分と馴染みのない土地に住む、というのは私に様々の発見をもたらすものでもありました。

 最初の発見は何と言っても、料理が作れない自分を発見したこと(笑)。これまで自動的に出されたものを、何の不思議もなく食べていた自分は、つい「料理なんて、ちゃちゃっと出来んじゃね?」なんてトンデモナイ錯覚をしていたのです。

 はじめて自分で食材を買って拵えたチンジャオロースは驚くほどパッサパサで、塩と胡椒の味しかしませんでした。そんな硬い肉と硬いピーマンを、硬いご飯片手にかじりながら、料理を作ってもらえていた幸せを痛感した東京の初夜でした。

 この経験が与えたインパクトは思いの外大きく、それからというもの、私はかなり積極的に「食べる」ということについて意識するようになりました。「今さらかよ!」と言ってくれるなかれ。

 われわれは案外、「与えられている」ことに対して無自覚になりがちなのかも知れません。たといそれが自分の生活、いや生命にかかわる重要なファクターであるにせよ。

 諸君、男子厨房に入らずなどとは、甚だしい間違いであります。これからの時代、そんな凝り固まった価値観じゃ、大いに笑われることでしょう。それに第一
「与えられる人」になるよりも、やはり「与える人」である方が、何かと都合がいいではありませんか。

 自分の食べたいものを拵える、困っている悪友が助けを求めてきたら、野菜炒めのひとつも馳走してやる。そんな人間の方が、けっこう頼みがいがあっていいと思うのだけれど、如何。(次回へつづく)