定期テストではそれなりな点数を取れていたし、その時になってホンキを出せば、国公立大くらい行けると信じている受験生。これは歯が抜けるほど甘い考えであります。
「金に糸目は付けない」という親の勧めで、名の知れた進学塾の門を叩いて、みっちりコースのオプションマシマシを注文。
必然的に勉強時間は増えたものの、しばらく経っても思ったほど成績が上がらない。塾の先生も頭を抱えて、更にオプションを追加して事にあたるけれど、教えたことが片っ端から抜け落ちていく始末で、もはやお手上げ状態。
怒って焦った親が、私が細々営む学び舎の情報を入手して、夜の九時に電話をかけてくる。私はビールを呑むところだったのに、「答えが一つしかない話」を聞かされるところとなって、しごくうんざり。
挙げ句の果てには「私の実績」なんてものを尋ねられたりして、塾生諸君の値踏みをされているようでいよいよ面白くありません。
私の言いたいことはただ一つ。
「そいつは、土台が腐ってるから、二階なんか上げられない。私のところへ来たって、お望みの結果にはなりませんよ。」
また、お電話差し上げますとは言うものの、そんなものよこすわけがない。
もうお分かりのように、国公立を目指すということは「土台」となる基礎学力がしっかりしていなければ、どだい無理な話なのです。それは、安定した土台の上に、一つずつ知識を積み重ね、組み上げていく、かなり長いスパンの努力なしには、成し遂げることが困難なものなのです。
私の重要視する基礎とは、読解力、計算力の二点に尽きます。このいずれかが欠けてしまっては、いかな有名講師が教えたところで、砂に水。砂の上に建てた楼閣のように、時を経ずして失われることが分かりきっているのです。
さて、諸君は私のもとで固めた基礎の上に、どのような構造物を建てるのかしら。国公立を目指すにせよ、別の進路を選択するにせよ、それは受験のためだけにある土台ではありません。
そこを自分の思考力の一丁目一番地として、あらゆる知識と出会い、そして深め、なおかつ発信するために、諸君はよろしく今この時を土台づくりに費やさねばならぬのです。