今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」
「やる気スイッチ」を見つけてあげたり、押してあげるなんてコマーシャルを耳にしたことがありますが、そんなスイッチはこの世に存在するのでしょうか。
よし、百歩譲ってそんな重宝な(?)スイッチが「存在する」としましょう。しかしそんなスイッチは、そもそも誰かに見つけてもらったり、押してもらうものなのでしょうか。
もちろん「やる気」を起こすためには、そうした外発的な動機づけが有効な場合もありますが、そこで起こした「やる気」の種火を大きくして、なおかつ持続させるためには、必ずどこかでそれを内発的な動機として転化していく必要があるのです。
つまり、一等強力な「やる気」は、自分の内にその源泉を持つのです。
趣味であれ、勉強であれ、仕事であれ、それが内から支えられた「やる気」でなければ、長続きするわけがありません。
だけれど、人間必ずしも一つことに「やる気」を燃やし続ける、というのは難しいものです。私だって一日盆栽に針金を巻き続けたり、一日バッハを弾き続けるというのは、どだい無理な話です。
内発的な動機づけに支えられたはずの趣味にも身が入らない。やりたいことがあるのに、「やる気が出ない」。きっと諸君も大学生活の中で、そんな一日を何度も経験することでありましょうが、それは決して悪いことではない、と私は思うのです。
好きなものを食べ続けても、やがて飽きが来るように、やりたいことをやり続けても、順当にいけば必ずそこに飽きはやってきます。脳味噌が「飽きた、寝る。」と言っているのだから、こればっかりは抵抗のしようがありません。
だからそんな時は、寝る! のも好いけれど、そんな時だからこそ「味変」してみたり、じたばたせずに目でも瞑って「自分が今、どんな感じのことをしたいのか」、心を澄まして「ゆかしさ」を探ってみると、意外な発見や新しい興味がそこから勃興してくることだってあるのです。
そう考えると、「やる気が出ない」というのは寧ろ、既存の固定化されてしまった視点を切り替えたり、ともすると自分の内に眠る未開の地を発見する貴重なきっかけ、というかチャンスなのかも知れません。
とにかく、ゆかしい方へ。たとえそれがムダな営為に見えたとしても、やらないよりはやった方がいい。「ゆかしさ」を求めて、よく考え、よく行動し、よく失敗してみることです。そうすれば「やる気」は自ずから諸君の傍らにあるし、それが諸君の将来の頼もしい杖となってくれるはずです。