かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(5) 海のある町にて

 「方角が悪い」なんて言葉を使う人間が、今の世の中にあるのか、はなはだ心許ないかぎりであるが、先日「方角の悪さ」を痛感させられることがあった。

 とある港町。かつて私はそこの中学に勤務していたことがあるのだが、退任して以来そっちの方面へ行くたびに、どうもにわかに心地悪しくわずらいついてしまうのである。

 三回中三度目になった今回は、当地へ近づくにつれて身体中の関節がわなわなと軋むようで、だんだん頭もぽっぽと火照ってくる。季節外れの日差しでのぼせたのだろうくらいに思っていたのだが、頭はズキズキと痛み出して、頸こり肩こりいよいよ凄まじい。

 これはいかなることにや、現地に到着したはよいものの、最早や何をしにきたのだか分からない。車から出てはみたものの、足がふわふわして月面にでも降り立つ塩梅。ハテ、この町はこんなに地面がやわらかであったかしらん。

 どう考えても熱があるらしい。これはいけない。今のご時世、こんな状態で人々の中にのこのこ出かけて行くことほどメイワクなことはない。とりもあえず、現地での予定も諸々キャンセルして、そのまま踵を返すことに。

 あれほど気を付けていたにも拘わらず、私もいよいよ流行病に尻尾を掴まれてしまったという哀しさをひしひしと感じつつ、かつて通い慣れた県道を引き返す。やがて私の住む町の鉄塔が見えて、郷里の山が見えてくる。

 それにつれて、ガンガンと鳴っていた頭も、肩のこりも心なしかほぐれてくるようで、家居に帰り着く頃にはすっかりケロッとしていて熱もない。まさに憑きものが落ちたという感じである。

 身重の妻を実家へ避難させて、自分は一週間巣籠もりする心構えで居たのに、これは何とも拍子抜けであり、念のためやってみた抗原検査とやらも陰性とあっては、それこそ「方角が悪かった」としか言いようがないという次第。

 頭では分かっていなくても、身体は実に正直な反応を見せるものである。もしかすると、私はかつてその町に、何か「こんがらがったもの」を忘れてきてしまったのではないかという気がしている。解けないままに置き去りにしてきてしまったパズルを見せつけられるような、そんな心持ちが「方角の悪さ」の根っこにあるような気がしてならないのである。

 数年ぶりに降り立ったその港町には、その日も変わらず水産物処理場から流れる哀切な臭いが海風に運ばれて漂っていた。どうやら、雨が近いようだ。

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