かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

蝸牛随筆(7) サイゼリヤ讃 Ⅰ

 敬意を込めて私はその店を「サイゼリ屋さん」と呼んでいる。

 今だってロクにないけれど、今よりもっと金が無かった学生時代にも、私はこの「サイゼリ屋さん」に繁く足を運び、今と同じ物を食し、時には悪友とデキャンタやマグナムで頼むワインを鱈腹呑んで、唇を紫に染めた挙げ句、自宅の空の湯船に落っこちて呵々大笑したこともあった。

 そして実に不思議なものである。かつて東京は国分寺のローソンの二階において食していたあの味と、郷里にようやく出来た店舗のこの味とが、およそ変わるところがないのは驚くべきことであり、素敵に悦ばしいことである。

 かつては学生同士、今は夫婦となった妻と、まさに時と場所を移して食べる味は、雪降りしきる東北の午後を、たちまちカラリと晴れた国分寺の昼下がりへと連れて行くかに思われる。紅茶に浸したマドレーヌのように、ドリアにかかるホワイトソースの風味と、ラファエロの天使の微笑みがこの幸福な食卓ごと時間を遡行させるのである。

 美味しいの記憶とは、時に味覚を逸脱した領域と結びついて各人の脳裏に刻印されるものである。さはれ、その味はただ単に「懐かしいから美味しい」のではない。どの皿の料理も素敵に、立派に美味しいのである。

 私は「ミラノ風ドリア」と一緒に必ず「若鶏のディアボラ風」という一皿を注文するのであるが、旧来の日本人体格である私は、座高がやや足りない所為で、ここでしか使うことのないナイフとフォークを動かす手が、素人人形劇のそれみたようにぎこちなく無様になってしまう。だから私は毎回、この一皿が来ると靴を脱いで席上に正座して居ずまいを正すことにしている。

 端座して頂戴するワインも実に乙なものであるが、微酔に勢いを得たナイフとフォークが気随気ままに振る舞うようでは、それこそイタダケナイ。学生の頃から今現在に至るまで足かけ十数年。テーブルマナーというものに自信こそないけれど、そこは曲がりなりにも私なりの流儀がある。

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