自分が欲しいものを人に贈る。
これは私が信条とするところのものである。まぁ、それが明らかな独りよがりにならない範囲であれば、たいがいは喜んでもらえるはずである、と自負している。
チャイルドシートを選定するにあたって、私がとるべき第三の道は、まさにこれである。つまりは自分が座りたいようなシートを我が子に贈る、という極めてシンプルな方策である。
そのためにはチャイルドシートの現物が売られているところへ出向いて、自分の目と手触りと、その使い勝手を存分に検分する必要が生じてくる。ただ一つ問題は、実際に私が座ってみるわけにはいかないという点であって、ここのところは多分に想像力によって補う必要が生じる点であろう。
さて、そうと決まれば己の思い浮かべ得る理想的なシートを心に描いてみるにしくはない。ここで考えなしにやおら「西松屋」に出発しても、あの高いラックの下をうろうろと徘徊して終わる羽目になるのが目に見えている。それこそ迷妄の海に沈む亡者的な消費者の末路と言うべき痴態に外ならない。
何はともあれ、まず「シート」と名の付く以上は、その座り心地から考えをはじめてみるべきであろう。これを左右するのは、平時のドライブにおいても痛感させられるクッションの如何である。それは沈み込み過ぎても、硬すぎてもあまり好いことがないのは経験上よく存じている。即ちその硬いと柔らかいの中道を行くクッションが理想的であるはずだが、いまだ座らない頸をしっかりと支える仕掛けもまたきちんと充実していてもらわなくては困る。
そして次なるは対応する年齢の幅という問題であるが、そもそもチャイルドシートは何歳まで義務化されているのだろうか。威張って申し上げることではないけれど私は分からないので、これは後でこっそり調べることにして、とりあえず今のところはいい加減大きくなっても子供が窮屈しないようなのを選ばなければなるまい。
そして最後は使い勝手の問題である。もちろんこれは使い勝手がよいことに越したことはないのだが、薄々分かってきたのはこの使い勝手の如何に例の「ISO」某が絡んでくるということ。早速わがチャイルドシート選びに雷雲が湧き出して、迷妄の海を行く木の葉の如きわが小舟の旅路を、うねりはじめた波浪の渦中へと投げ込むかに思われた。