かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽教育論(18) 針金と教育 Ⅳ

○効いたら速やかに・・・

 授業形態の如何に拘わらず、指導者の言葉ひとつ、アドバイスのタイミングひとつで、子供の理解や感じ方は大いに変わってきます。一対一で子供に向き合う時などにも、「よし、ぴったりおちた(理解した)」とほくそ笑んだり、「しまった、少し早まった」と悔やむこともしばしばです。その都度その都度、指導者は「指導」というハリガネの番手やかけわたし方を思案しつつ、その場その場の一発勝負を迫られているのです。

 ここで注意すべきは、指導者が一から十まで四六時中「指導」によって子供を雁字搦めにし続けるのは得策でないということであります。もちろん手をかけること、手間をかけることは教育においても、盆栽においても極めて重要な心構えです。しかしながら年中針金をかけたり外したりを繰り返していては樹が弱ってしまうように、それは人間においても同じことなのではないでしょうか。

 愛好家はこれを「樹を遊ばせる時間をつくる」と表現するわけですが、その「遊び」の時間こそが、針金から解放されて樹が一息ついて精力を取り戻すリカバリータイムとなっているのです。針金とはどこまでいっても諸刃の剣であり、樹にとって退っ引きならないストレス要因である以上、必要外の過度な針金かけはその樹の将来にあまり良い影響をもたらさないのです。

 そして、それは教育もまた然り。手取り足取り指導を重ねて、子供のよい芽を伸ばしているつもりでも、それは結局のところ指導者自身気がつくことのないストレスを与え続けている可能性は捨てきれません。教育とは、少なからざる抑圧を伴う、いや、もっと言えば傷のない子供に傷をつけ、曲がりのないところに無理矢理曲がりをつける行為であることを、指導者と名の付く人々は自覚せねばならないのです。

 なればこそ盆栽も教育も、ハリガネは最小限に止めるべきなのです。適切なハリガネで最も効果的に掛け渡すこと、そして効きが確認されたら速やかに外して、彼らを抑圧から解放して「遊ばせ」てやるにしくはないのです。