○鋏とジョウロと・・・
盆栽を始めるにあたって、別段そんなに構えることはない。
鉢と、それに入った樹とがあればよい。強いて言えば、鋏とジョウロと参考書と、あとは愛さえあれば大丈夫。
針金やら何やらは、必要になったら買えばよし。大事なのはやっぱり愛なのだ。
どうして枯らすものか、この樹を一丁前にしてやりたい、その心持ちが盆栽という趣味を貫く大事な筋金なのだ。
○こんな樹にしたい!
盆栽をはじめたら、とにかくいろんな人の作品を見ることからはじめるに越したことはない。
自分がどのような形に強く惹かれるのか、どんな樹種に限りないゆかしさを覚えるのか。そしてどんな樹を創りたいのか。
そこのところを、ちゃんと明確にしておいてから、とっくり自分の樹と向き合う。
「いやぁ、さすがに無理っすよ」「でも、そこをなんとか!」こんな対話を通して、人と樹はまだまだぎこちない二人三脚の、はじめの一歩を踏み出すのである。
○「学ぶ」は「マネぶ」
イイな、と思ったらそれをマネることが大事。右も左も分からないから、丸ごと誰かに教えてもらおうと思っているうちは、どうしたって上達からはほど遠いもの。
自分の樹を理想の形に近づけるためには、どうすればいいのか。まずは参考書、同好の士、ユーチューブにお伺いを立てて、自分でその最適解を探し、それをマネてやってみる。そんな過程こそが上達の階梯なのかも知れない。
学ぶこととは、本来「マネぶ」ことから来ている。もちろんそれは、盆栽に限ったことではないのだ。
○目的と手段
針金をかけたいから掛ける、では樹を痛めつけるだけ痛めつけて、あとは満足してしまう。これは定番の初心者あるある。
針金をかけることは、手段であって目的ではないのだ。無精な私は必要に駆られて、しぶしぶ針金に手を伸ばす。だって、掛けたらば外さねばならないのだ。
何をするにせよ、はじめに「ここをこうするには・・・」という問題意識があって、それに応じた手段が講じられてしかるべきである。
まずはどうしたいか、その樹の将来的なビジョンを見据えて、無理のないプランを練ることからはじめる。愛好家とは歴とした教育者なのだ。