かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

盆栽教育論(17) 針金と教育 Ⅲ

○ハリガネは美しく

 幹枝にかける針金は交差させてはいけないし、巻きの途中でへんに隙間が空くようでもいけません。針金はいつも負荷をかける枝にぴったりと沿わせて、枝の太さに応じてその都度番手(口径)の違うものを掛け渡していきます。

 ですから、枝先に至るまで上手にかけられた針金は、何かの細工物のような美観を呈してくるわけですが、そうでない針金かけはというと、まるで樹をいたずらに苛めているようにすら見えます。しかもそれは、盆樹の生育にとっても穏やかならぬものであり、間違った針金が寧ろその枝を枯らしてしまうことだってあるのです。

 例えば、方向を修正したい枝に巻く針金は謂わばギブスのようなもので、その針金が枝の負荷がかかる部分にきちんと沿わされておらず、隙間などが空いてしまっている場合、それはおよそギブスの役割を果たさず、時には枝をへし折ってしまうおそれすらあります。

 それが負荷であることにかわりはないものの、きちんと枝にフィットして見栄えにも美しい針金かけは、要所要所に適切な効きを担保しながら、その枝の未来の青写真を描くものなのです。とりあえず全部の枝にかけるのではなく、針金はあくまで何らかの目的のもとにかけられ、だらだらと毎年かけかえるのではなくて、その都度、説得力のある効果が得られないようでは意味がないのです。

 さて、では教育における「ハリガネ」とは何でしょう。子供に対して一定の矯正力を発揮し、ある程度の軌道修正を可能にする「ハリガネ」こそが、「指導」と呼ぶべきものなのではないでしょうか。それ故「指導」とは盆栽の針金のように、時に人を利して、時に人をして害毒をもたらしむるキケンブツに他ならないと私は常々思うのですが、果たして読者諸氏は如何にお考えでありましょうか。