かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

育児漫遊録(3) 一日一時間 Ⅰ


 仕事に行くのを忘れそうになる。

 つい一昨日のお産までは、難産で時間がかかるようなら教室に出ようなんて了見であったヤツが、面会時間の制限がなかったらいつまでも産院に入り浸る構えで、自分の息子が入ったカゴに齧り付いている。

 妻は思いの外産後もケロッとしていて、座ると痛いのだと言って病室の中をヨタヨタ歩いている。退院の時の費用について何か私に申したらしいが、私は一向にそれを聞いた覚えもなく、カゴの中でぴくぴく動いている不可思議な物体をつついてみたり手指を握らせては、新しい玩具を手に入れた小僧のような振る舞いばかりしていた。

 一日一時間。昼の診察がはじまる前の一時間が面会の時間に中てられており、一分も無駄にしてなるものかの精神で以て昨日、一昨日と見知った顔の男達と前後しながら妻と子の待つ病室へ上がっていくことになる。

 流石にあの長い綿棒を再び鼻孔に突っ込まれることはないけれど、入り口の検温消毒に加えて、再び腋下で検温を行い「コロナ」関連の問診表にチェックを付けなければならない。ここで気が急いているあまり、ちょいと引っかけ気味の「はい」などにチェックしようものなら、「おい、ちょっと来い」とお呼び出しを食らってしまうおそれがある。細心の注意を払いながら、嵐のようにチェックを済ませていざ二階の病室へ。

 どれだけ頑張ってもここで五分は掛かってしまうものであるから、残すところあと五五分。先日たっぷりと軟禁された部屋の前に立って耳を澄ませる。泣いていやしないか、でも眠っていやしないか。アザは、鉗子の傷は消えたかしら、そして今日はどんな顔をして鎮座ましましているだろうか・・・やはり、ドアーの前に立ったその瞬間が記憶のハイライトとなるのは、人間のサガなのやもしれない。