お産の立ち会いに入るための検査を駐車場で受ける。ここまで来たら、すぐにでも妻の顔を確認してその無事を確認したいところであるけれど、それが出来ないのが今のご時世である。
心を落ち着けつつ軽トラの運転台で一五分、いつもの産院の駐車場で検査の結果を待っていると、あのご婦人は半年も前くらいの妻のお腹、そのご婦人はあと二ヶ月というところか、と出産に至るまでのハイライトが走馬灯のように(これは縁起が悪いけれど)思い出されてくる。
いずれはこうしたどのご婦人達よりも腹の膨れた妻に順番が回ってきて、私もまた「立ち会い」だ、「入院の道具を運び込む」だとか、せわしなく動きまわらねばならない季節を迎えるのだろうと頭では分かっていたけれど、いざそうなってみると何だか一睡の夢でも見ているような心地すらしてくる。
電話が鳴って、さきほど一悶着あった助産師のおばさんの声が電話口から聞こえてきた。すると今度も案の定「宮川さんですね?」「そうです。」の応酬が三回以上繰り返されたので、流石に腹が立って無言を以て返答したところ「異常が無いのでどうぞ」だそうである。
先ほどまとめそこなった荷物を一抱えにしてようやく産院の中へ入ったはよいものの、そこで再び検温やらコロナの問診票を書かされ、到着してから妻の待つ病室へ入るまでしめて三〇分もかかってしまったわけである。
そこは丁度、六千円ほどで泊まれるビジネスホテルみたような間取りと設備の個室であったが、蛇口からマックスで八〇度のお湯が出せたり、ナースコールがあったり、何やら仰々しいマシーンを動かすための特殊コンセントがあるあたりは、産院ならではと言ったところだろうか。
そこに妻は案外ケロッとして転がっていて、例のコンセントに繫いだマシーンがドックドックと忙しない拍動を刻み続けていた。