かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

些事放談(2) ココロと体の健康診断

 ワークショップだとか、きららかなるイベント毎にはとかく尻込みする私であるが、選挙とか町の健康診断だとか公の行事には、なぜか大手を振ってでかけてゆく。何がそんなに面白いのかは、我ながら不明であるが、たぶんあの、次、次・・・とシステマティックに捌かれる感覚がひとえに新鮮だと云う理由で好きなのだろう。

 それはふだん、そうしたシステムの中にいないことの証左でしかないのだけれど、カフカ的な機械の中に取り込まれる快感は、誰しもが密やかな欲望として胚胎しているものなのではなかろうか。

 と、私はそんな欲望を語りたくて稿を起こしたのではないのだった。私はただ我が町の健康診断の一幕という些事について語ろうと欲したに過ぎないのである。

 わが町の健康診断は、いわゆる「おんつぁん」とか「ばんつぁん」が主であるからして、時に様々なイレギュラーも起きる。血圧を図るために、床のカゴに上着を置こうとしたら、どこからともなく歩いてきた「おんつぁん」にカゴごとドリブルされたり、突然自分の健康が心配になった「ばんつぁん」が、血を採っている真っ最中の人に語りかけたり、そんなことの枚挙にいとまがないのである。

 問診の先生は、今年も同じ。ワックスで頭をツンツンさせてイケイケなおじいちゃん先生なのであるが、今年は五本指靴下の二番目に穴が開いていて、それがちょうど順番につめて座る待合席の塩梅で目に飛び込んできたのである。後から来て件の席へ座った妻に、そっと「アレ、くづした、見でみろっちゃや」と耳打ちしていると、私の右隣に座っていたおばちゃんが、堪えかねたようにクスクスと笑い出した。

 きっと、私より先の順番で待合席に着いた折りに、まじまじと見ていたのだろう。なにせ、わざわざ履いてきた外靴をサンダルに履き替えているのに、そのサンダルすら穴あきソックスの下敷きにしているものだから、これまた見てくれと言わんばかりなのである。

 おばちゃんにつられて、私も腹のこそばゆいのに堪えかね、くつくつと笑い出してしまったわけであるが、見ず知らずのおばちゃんとゆくりなしに共通の話題で破顔一笑したということが、不思議とのびのびした気分を連れてきたのであった。

 いや、もしかするとあの老先生は、あえてあんなパフォーマンスをすることで、検診に来たわれわれ町民の緊張を解し、うち解けた笑いを提供することでココロの健康まで慮ってくれていたのではあるまいか、というのは私の考えすぎであろうか。