かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 国語力とは何か Ⅱ


●英語学習は後からで十分

 昨今の風潮では、随分小さいうちから英語の学習をさせるようですが、私から言わせればそんなことは「後からで十分」なのであります。なぜならそこには国語の土台もなければ、習い覚えた英語に対応する言葉が不在であるからです。考えてもみてください、日本語において使ったこともなければ聞いたこともない表現をただペラペラ発話できるようになったところで、いったい何になるのでしょうか。

 そんなものは単なる猿マネに過ぎません。これから直ぐに英語圏に移住するとなると話は別でありますが、ともあれ母国語の形成が不全であるままに別の言語を摂取したところで、木に竹を接いだような状態になるのがオチなのです。母国語が日本語であるならば、まずは己の言葉を知り、然る後に他の言葉を知らなければ、果たしてその「あいだ」にある文化的差異に気づくこともままなりません。

 こっちでは「○○」と表現するのに、向こうだと「●●」と表現し、しかも違ったニュアンスまでもが付与されるのだ、と「気づき」が生まれる時こそが外国語学習の肝なのではないでしょうか。ただべらぼうにセンテンスを暗記して、その文法的な意味も単語の意味も解さない、いや、知り得ないようでは、とうていその学習は生涯にわたる知的財産とはなり得ません。

●付け焼き刃もいいところ

 現在の日本では「国際競争力」などと騒ぎ立てながら英語学習をやたらに鼓吹していますが、そんなことをしても「国語の力」を充実させる工夫を講じなければ早晩この国の文化的、学問的レベルは失墜していくことでしょう。他の国と競いたければ、何よりも先に自国の文化と学問を奨励せねばならぬのに、初っ端から相手の文化に迎合して相撲を取ったが最後、その瞬間から既に負けているのです。

 とにかく外国を志向するシコウは、それだけわが国における資本主義がフロンティアを食い尽くし、行き場を失って弱体化していることの表れなのでしょうが、本当に外から富を得たいのならば、それを可能にするだけの人材を育成することからはじめなければならないはずです。それはよもや外国語学習の基礎たる母国語もままならない人々に、急ごしらえで英語を学ばせる愚策なんぞでは、付け焼き刃も甚だしいというものです。