かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

軍隊学校之記(18) 加奈陀旅行記Ⅱ

 英語が通じない。

 もちろん全然単語が出てこないというわけではありません。寧ろ単語なら通じるのに、私が必死こいて捻りだした構文が一向に通じないのです。

 日々の暗誦で(無理矢理)培われた例文を、ジャンク屋のごとくあれこれ取っ替え引っ替え組み合わせて喋るのですが、that の構文なんて使った日には、「what?」と洋画で目にするお馴染みのポーズを決められ、私はすっかりへどもどしてしまったのでありました。

 大きな冷蔵庫の前でみじめに佇む日本の青年に、スコットランド出身のご母堂が、二つの忠告をしました。一つ、砕けた表現でも伝わるから、簡潔にものを申すように。二つ、「まあまあ」「ちょっと」といった物言いはせずに、イエスかノーかで答えるように。

 それがまさしく、私が異国の地においてはじめて感じた文化の違いでした。

 「まあまあ」とか「ちょっと」と言われたら、何となぁくその人の気持ちを汲んでやるのがわが国の忖度文化であるとするならば、向こうはイエスかノーかで、はっきりものを言ったもん勝ち。そんなしち面倒くさいことには、一向構わないらしいのです。

 郷に入っては何とやら。仕方がないので、that の構文に別れを告げて、ようやく生きた英語というものを訥々と喋り出した私でしたが、結局のところそれは「受験英語」とはまるで毛色の違ったものでした。

 外国に行って現地の人と暮らしたって、それはどこまで行っても話し言葉の域を出ないし、書き言葉の読解が上達することには直結するわけがないのです。

 ただ、映画で観るばかりだった生きた英語に接して、文化の違いというメガトン級のパンチを二発も三発も食らう体験は、今思えば貴重なものだったのではないか、としみじみ思うわけです。(次回へ続く)