蝸牛随筆(38) ボンベさん
原曲は米国の「リパブリック賛歌」。これがどういうわけか本邦に持ち込まれると、たちまち毒にも薬にもならない歌に早変わりする。
幼稚園の帰りの会は、とにかくあれこれ歌ってさよならをする習わしであった。残りの体力気力を振り絞って、園児達が大音声で園歌やら習い覚えたお歌を絶唱しているなかに、すぐれて上手いわけではないけれど窓際に集まりだしたお母さん方をザワつかせる歌い手があったそうな。
曲はお馴染み「権兵衛さんの赤ちゃん」(邦題は不明)であるが、よくよく耳を澄ませると一人だけ「ボンベさんの赤ちゃん」と歌い居る奴がある。
まさかウチの子では、と母が覚えた一抹の危惧は見事に的中。家居に着いて、私がおもむろに歌って聞かせたところ母親が笑いながらひっくり返った。私が懸命に歌っているにも拘わらず、いったい何が可笑しいのかしらん。まさか歌詞が違うとでも言うのだろうか。
この歌はボンベさんという、おそらく酸素ボンベか何かを商う人の子が悪性の風邪をこじらせてしまって、ボンベが必要な状態に陥った窮状を歌ったものに違いない。そんなイメージをぽつぽつと説明して聞かせると、母はなおのこと笑う。
その後も私の歌詞の勘違いは続き、他にも交通安全を確認する「右手どっち」の歌を「右手バッチン」(これは交通違反をしたために上げるべき手をホッチキスでバッチンされるイメージ)と歌唱していたり、本気で心配した母がピアノの先生に相談する事態と相成ったわけでした。
すると先生、事も無げに笑って。「私もでしたよ。」と仰ることには、私の耳は歌詞よりも寧ろ音で以てそれを聴いているからこそ、そうした間違いが出来するのだそうで。
とにもかくにも、ヘンテコなものはヘンテコなわけで、当時の私としては勘違いを指摘されて少なからず遺憾におもったわけであるが、こんな勘違いもまた二十年、三十年とわが家のお茶の間で語り継がれているうちに、いつしか自分が息子の歌をチェックする日もそう遠くない未来になっている始末である。