かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

些事放談 「一行半」

 何とも手軽な世の中になったものである。

 習い事を一つ辞めるにせよ、SNSの短文一本。

 「塾、辞めます。手続き要りますか?」

 というのを受け取ったご同業の話を聞いて、他人ごとながら頭にきた、というよりも寧ろ哀しいような諦めに似た気分を覚えた。

 それは商売であるから、客が「止す」と言ったらそれまでであって、「止す」と言われないように営業努力をせよ、というのが繁盛のヒケツなのであろうが、それとはまた別の次元で私は「あちゃー」という気分に襲われたのである。

 江戸の昔、町人の教育は所謂「三行半」の離縁状をきちんと書けるように、とのことで行われたと聞く。離縁の申し出と此方の言い分を簡潔にまとめ、さらさらと書きしたためて三行とちょっと。

 これが時代を経ると、驚くべきことにたったの一行にも充たない無味乾燥、受け取った人間の気分ばかり害する短文駄文に様を変え、面さえ付き合わすことなく相手に申し渡すことが出来る。

 そんなのは実に単簡であり、人様に面と向かう煩わしさもなければ、先方に対する「申し訳なさ」だってほとんどカットできる点で、「その手の人間」にとって大いに歓迎される方法であろう。

 読者諸氏はもうお分かりかと思うが、ここに決定的に欠落しているのは、曲がりなりにも世話になった人間(他者)に対する思いやりの欠如である。いくらそのサービスが合わなんだとは言え、たとい心になくとも「今までお世話様」のひと言にすら思い至らないというのは、あまりに嘆かわしいことである。そこはせめて「三行半」は欲しいところではないか。

 世の中が何かと合理的で便利になっていくことに対して、私は別段の文句はない。さりながら、そんな便利さにかまけて、人が人を思いやるという倫理的な一線から後退することに対しては、並々ならぬ危機感を覚えるのである。