かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(65) 違うものは違う Ⅲ


 「違う」ものを「違う」と言わない場面は、よもや学習面ばかりではありますまい。子育ての場面において「私は子供の言うことを否定しません」と豪語する人がありますけれど、果たしてその子供は絶対に間違えないのでしょうか。もちろん、間違えたとしても頭ごなしに否定しない方が結果的に吉とでる場面はたくさんあるでしょう。

 しかしながら、自分の子供が論理的に間違っている場合、そして倫理に照らして問題のある言行に及んだ場合は、よもやその分ではありますまい。ロジックの間違いについては先だって述べた通りですが、一番厄介なのは「人としての間違い」をただすことなのではないでしょうか。

 昨今は誹謗中傷なども匿名でいとも容易く出来る時代になったようで、子供の倫理観が問われる場面はよっぽど多様化してきていると言えます。だからこそ、心ない言葉で以て人を害したり、明らかに公共のマナーに反する迷惑行為をものともしないような子供には、その動機なぞちまちま問い糾してお説教をはじめる前に、オトナがはっきり「違う」と言ってやらねばならない、と私は思うのです。

 さりながら、倫理観なぞ人それぞれであって、一個人の立場から「それは違う」と叱正しても、「それはお前のルールに照らして違うのだろう」という苦い反論が予想されるわけです。なるほどこの手の反論は、相対主義的に考えれば信条や倫理もまた人それぞれであるから、一個人の倫理観で以て「それは違う」と断じることの恣意性を批判している点でスジは通っています。

 だったら往来で人様の迷惑になることをしていたり、明らかに誰かを傷つけるおそれのある行いをしている子供を前にして「自分にその行いを糺す権利はない」と、われわれは引き下がらねばならぬのでしょうか。んなワケはありません。

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