かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

育児漫遊録(33) ミルトンよさらば Ⅱ


 「コスパ」ばかりではない。最近は「タイパ」などと略して費用対効果ならぬ時間対効果もまた消費行動ならびに、日常生活の様々な価値基準に組み込まれることがあるらしい。

 ならばこの「ミルトン」は、日に一度ならず大鍋に湯をぐらぐらと湧かす必要がない分、例の「タイパ」的には優等生ということになるだろうし、災害の渦中にあって煮沸が困難な場合においても、安全に哺乳瓶を消毒することが出来る。

 かつてコロナが最初の流行を見せた時に、方々の赤ちゃん用品の店先からこの「ミルトン」が消えたという話を聞いたものだが、いざそれを自分が必需品として使用する側となると、「なんだかなぁ」という気分を禁じ得ない。

 あの頃は、とにかく消毒出来れば何でもイイ、という風潮がそれこそ流行病のごとくに広がったものである。マスクもない、消毒液もないという状況下にあって「ミルトン」に思い至るのも無理ないことであったと思うが、「なり振り構わぬ」という態度は「誰かに思いを致さぬ」ということと同義であることを忘れてはならない。

 百歩譲ってもしミルトンが無ければ、煮沸をすればよいまでの話であるが、オトナたるもの赤子の生活を侵害するやも知れない行為は、一つの倫理として慎まねばなるまい。

 と、話が横道に逸れてしまったわけであるが、本題に戻ろう。本題はミルトンという「コスパ」アイテムによって出来た時間を如何に使うかというところにあった。

 ミルトンばかりではない、現代の赤ん坊はあらゆる便利グッツに囲まれて育てられていると言っても過言ではない。余剰として産まれた時間は、よもや親がスマホいぢりに費やしては仕様がない。先人達の試行錯誤によって生み出された時間なればこそ、それは子供に還元されることこそが本筋なのだろう。