かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

新 盆・歳時記(1) 土の準備

 「この黄色い砂塵のひとつひとつに佛さんがいらっしゃって」、いつかどこかで耳にして以来、この作業をするたびに思い出すフレーズである。


盆栽用土
 ふるいにかけて、そしてまたふるいにかけて、ひとつひとつ不純物を除いてやって、さらに乾燥させる。今年のブレンドはどんな比率にしようか、表情をみながら配合を変えていく。これは珈琲ではなくて、土の話である。 
 春を待つガレージに濛々と土埃が立つと、いよいよ植替えシーズンの到来が近い。よく乾いた土は温い。この土を混ぜていると、冬の間かじかんで縮こまっていた心がほぐされてゆく心地がする。それは生きることの芯の部分に触れるよろこびだろうか。(『盆・歳時記』より引用)


 全身埃まみれ、マスクをしていないと(マスクをしていても)鼻の孔まで黄色い塵だらけになるけれど、不思議と嫌いではない作業である。季節柄にもよるのだろうが、無心にふるいを振って、それをまたふるいにかけて。微塵の微塵を抜いたものが挿し木用の土壌になり、ゴロゴロした大粒は鉢の水分調節に欠かせない底土となり、そして最終選考を勝ち抜いた粒たちが根を抱く。かくして鉢に生きる樹々にとっての大地が息づく。
 こうしてみると、つくづく土というものが、何かしらの形で盆栽の、引いてはわれわれの生きるということと不可避的に結びついていることに気づかされる。濛々とあがる黄色い土埃は、春めいてきた陽ざしをうけてやわらかに光る。その一粒一粒に佛さんがスタンバっておられるのかは定かでないが、ガレージの軒端にたなびいてゆく土埃に、なんとなくではあるけれど、定規とか定義とかでは測れないやさしさを感じる早春の一日である。

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