かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

教育雑記帳(9) すてきなお母さん 前編

 教育について何をか語ろうとする際には、やはりどちらかと言えば、教員の問題であるとか、教育行政の非合理性をこき下ろしたり、ディスったりする方が仕事もラクである。だがこの間、妻に「ディスってばかりいないで、少しは褒めることをしたらよろしい」と至極もっともなことを言われた。そんなわけで、おずおずとこんなタイトルを掲げてみたのであるが、さて「すてきなお母さん」とは何だろう。

 うわーっ、と思う保護者の話ならなんぼでも書けるのだけれど、今日はディスらないという縛りがあるから、この逆風に抗って私は何をか述べねばならない。

 「すてきなお母さんは、おいしいご飯を作ってくれる。」どうだろうか、実に陳腐な答えであって、われながら大変に恥ずかしい。しかしながら、これはこの間、わが門下生のお母さんから相談を受けた際に、その認識を新たにさせられたものなのである。

 大学受験も迫ってきた年頃の息子、ガンガン行こうぜタイプの進学校で朝から晩まで揉まれて帰ってくる。疲労困憊で夕食の席につき、それから自分の勉強をして、幾分かの息抜きをして晩は死んだように睡る。そんな息子の姿を目の当たりにしたお母さんは、私に次のように打ち明ける。

 学校の先生からは保護者会においても、もっと頑張れ、と子供を激励してくれるように言われているけれど、こんなに張り詰めて帰宅してくる自分の子に「もっと頑張れ」なんて言えないし、年頃も年頃だからそんな事を言った日にはケンカになってしまう。だから自分が出来ることは見守ることしかないのかと思って。

 それを聞いて私は、すてきだなぁ、と思ったのである。大事なのはまず以て、子供との距離の取り方である。この距離がうまく取れないことには、どれが子供の意志で、どれが親のそれであるのか分からなくなった挙げ句、まさに親子共倒れの事態となってしまう。自分の子供をひとつの独立した存在として見なせるか否かが「子離れ」出来ている「すてきなお母さん」の第一条件なのではないだろうか。(後編につづく)