盆・再考 樹と人と
つい先週の同好会で、一緒に盆栽をいじっていた仲間が急逝しました。
私と半世紀分年の離れた友達。大先輩でありながら、同じ趣味を語り合えるかけがえのない友人でありました。
青々と繁った樹が、一夜のうちに立ち枯れるかのように。遺された盆栽たちは、主なき庭にいかな風情で、この五月のさわやかな風と光を浴びていることでしょうか。
盆栽と人は、つくづく似ています。
鉢に入って生きるか、社会という枠の中で生きるか。
針金で整枝されるか、教育によって矯められるか。
自分を取り巻く環境に大いに影響されることも、生きていくために、ある一定のルールをのみ込まなくてはならないことも同じなのです。
とにかく集めることが大好きだった、あの人の盆栽たち。
奥様からたっての依頼もあり、これから同好会のメンバーで引き取ることになりました。
だけれど、あの日あの時、やいのやいのと言いながら針金をかけて「おお、よくなったなぁ」と、共によろこんだ樹を自分の棚に迎えたら、きっと私は逝ってしまった友達の在りし日の姿をそこに見て、少なからざる喪失感に駆られることでしょう。
なにせ盆栽は、それを育ててきた人間の、ひとつの似姿なのですから。
大事に、そしてゆっくり語らいながら、友達との想い出の樹と共に、とりあえず未来の方へ歩いていこうと思う今日このごろです。