かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得 リセットしてよいのは 後編

 さて、間違いというものが決して無意味ではない、と知っている皆さんは、よほどのことがない限り自分の計算式を含めた解答を「リセット」しにかかるということはないでしょう。

 「なぜ間違えたのか?」「どこでやらかしてしまっているのか?」という問いを立てつつ、自分の答案を一つひとつ点検する力こそが、私の述べるミスに向き合う力なのです。

 こうして自分のミスを地道に潰していくことによって、われわれは「だから間違えたのか!」「自分はここでミスりがちだから気をつけなければ。」とか「ここはもっと工夫できたのではないか?」というように、少なからざる前進が可能となるのです。

 つまるところ、ミスとは自分の勉強を進めるために欠かせないものであり、その時々の自分を映し出す鏡に外ならないのです。

 一方、この作業を怠ってしまう「リセット」愛好者は、とうてい高度な学習など出来たものではありません。○か×かよりほかに拘るところがない彼らは、「リセット」してやり直したら○になった、という極めて単純にして、極めて危ういところで勉強しているわけです。

 間違いを受けとめられないということは、再び同じ間違えを臆面もなく犯してしまうおそれがあるということです。自分を省み、そしてかつての自分を批判し、新たな打開策を練られる人間こそが、本当に「学べる」賢い人間なのです。

 やらかしてしまったことを、なかったことにする政治家や、自分に都合の悪いデータをなかったことにして論文を発表してしまう学者は、いずれも同じ穴のムジナです。

 「リセット」出来るのはゲームだけ。私たちはこの世に生をうけた瞬間から、逆戻りの効かない、まさに退っ引きならない時間を生きています。人間に完全なんてものはないのですから、その中でわれわれは、幾度も間違えることでしょう。

 それをなかったことにして進むのか、その間違えを今後の教訓として受けとって進むのか。

 さあ、もう私の言いたいことはお分かりですね。まずは、そのやおら引っ掴んだ消しゴムを、心静かに下ろしましょう。