かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

弟子達に与うる記(2) ポケットに本を

 別に読む気がなくても、授業がフルコマで忙しい日でも、ポケットに無理矢理ねじ込めとは言いませんから、カバンの片隅に一冊の本を忍ばせておいてほしいものです。

 とにかく学生時代というものは、読書を通して自分の考えや思考力を磨くことが肝要です。本を読まない大学生など、学問をする人間の風上にも置けませぬ。

 と、かなり強気な発言をしましたけれど、何を読めとか、そんなものは読むなとも言いません。とりあえず自分が「ゆかし」と思ったものをまずは手に取って、いつ読むかのアテなぞなくても、とりあえず買ってみるに越したことはありません。

 少しくらい背伸びして、ムズカシそうな学術書を買ってみたり、財布をはたいて惚れ込んだ作家の文庫を端から端まで買って読み耽ったり・・・。あくまで私個人の見解ではありますが、本を買って金欠になるのは、学生の美徳であります。

 あんまり難解で今はよく分からなくとも、あっちやこっちの本を読んで、ほっつき歩いて遠回りしているうちに、いつの間にか読めるようになっていることもある。「今さら、そんなもン読んでどうするんだ?」的なものを読んでも、それがいつかどこかでまさかの役に立つ日が来るかも知れない。

 読書とは、一番確実な未来への投資に外ならないのです。

 ちゃんと本を読む人は、ちゃんと思考が出来る人です。人間は言葉によって思考する生き物である以上、先ず以て言葉が豊富でなければ思考自体がままならなくなるのは当たり前な話。そして、そのための言葉の輸入先がなくては、自然と思考も干上がってしまうわけです。

 読書によって輸入される言葉、そして他者の異質な思想は、多感な青春期に様々な影響を与えることでしょう。それに一時期カブレてみたり、○○主義を標榜してみるのもいいでしょう。

 そうして自分なりに吸収したものと同化したり、少し熱が冷めてからそれを遠いまなざしで眺めてみたり、そうしたことを通して、われわれは自分の思考、そして思想を鍛えてゆくものです。

 それは「消化」の働きに似ているかも知れません。読んだ物を、いっぺん頭の中に納めて、時間をかけて消化して栄養にしていく。これがうまく出来ていないと、未消化なものを、さも自分の考えであるかのように吹聴する、手に負えねぇ野郎が出来上がってしまいます。(いや、これはホントにメイワクなので、気をつけましょう。)

 だから食事も本も偏りなく、バランス良く。ゆめゆめ先入観で読まず嫌いはせぬように・・・という自分も人のことは言えないのだけれど(笑)。