かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

作文の時間(17) 読書感想文はムズイ? 後編


 自分の〈読み〉を展開することとは、作品に新たな息吹を与える、謂わば二次創作的な色合いさへもつものであります。

 ありきたりな「読書感想文」に散見される「すごかった」「びっくりした」「おもしろかった」も結局、何がどのような点で超越していたところが「すごかった」のか、如何なるコンテクストを裏切ったところに「びっくりしたのか」、人物の言動に胚胎されたどういうテイストの意味合いが「おもしろかった」のか・・・「感想」を煎じ詰めればそれは立派な個人の〈読み〉なのではないか、と私は思うのです。

 それ故に「読書感想文」もとい作文を子供達にさせる側としては常に、「すごかった」「おもしろかった」「びっくりした」の絶えず向こう側を志向し、彼らにそれを思考させるように仕向けなければならないのです。

 さりながら、この度「課題図書」のラインナップを拝見したわけですが、なるほど私の知らない最近の児童書籍が並ぶ中に、河川の歴史を繙く説明文的なジャンルの書籍まで含まれているのには驚いてしまいました。

 もちろんそれは中学生向けの課題図書であったわけですが、歴とした説明文を読み込んで「感想」を書け、とはなかなかどうして高度なことが要求されていると感じました。説明文で感想・・・ということをつらつら思っていると「それって、書評じゃん。」という結論に行き着いてしまうわけで、大学生に書かせて四苦八苦するものと格闘させられる現代の中学生って大変だなぁ、と責任感の欠落した「感想」を抱いた次第でした。

 それは寧ろ、読書感想文でよく言われる「自分に引きつけて書く」を通り越して、より広い視野で自分の地域と河川のつながりであるとか、世界が晒されている地球環境の変動といった問題と絡めて考えていかないことには、規定の枚数を達成することさへムズカシイのではないかと思います。

 折角の良書であるにも拘わらず、読書感想文が一向に進まないばっかりに「こんな本、二度と御免だぜ」となってしまっては、本に親しむ一環としての本懐が欠落してしまうというもの。やはり課題図書は、私なりに申せば〈読み〉の多様性が担保されたテクストにしくはありません。

 夏休みの終わりに、取り敢えず遅まきながら私がおすすめする読書感想文向けのテクストをご紹介して、結びにかえさせていただく次第であります。

 川上弘美「神様」(中公文庫)
 梨木香歩西の魔女が死んだ」(新潮文庫)