かたつむり学舎のぶろぐ

本業か趣味か、いづれもござれ。教育、盆栽、文学、時々「私塾かたつむり学舎」のご紹介。

塾生心得「それって、オフライン?」後編

 勉強において大事なのは知識の量というよりむしろ、知識と知識の繋がりだと私は常々思うのです。

 知識が線状に繋がっていれば、たとえそのうちのどれかを忘れているとしても、知っているところから糸を辿ってその知識を呼び戻すことが出来るのです。これぞまさしく、人間の頭のバックアップ機能と呼べるものではないでしょうか。

 一個一個の知識を精密に学ぶことに長けていても、それらの繋がりが模索されなければ、細切れ状態に分断されたままの知識は、適切に運用されることも難しくなります。そうなると後は、かの忘却曲線との勝負であり、繋がりをもたない「オフラインな知識」は記憶から薄れていくことでしょう。

 知識を孤立させないためには、それを開かれたものにして、「線」、つまりはネットワークで結び合わさねばなりません。

 「引き算と足し算は」「展開と因数分解は」「関数と方程式は」・・・みながら親戚のような存在であり、またはクラスの友人達のようにラインを介して繋がっている。だから片方を忘れても、逆コースからアプローチをすればイイだけじゃないか! こうして見ると「覚えてる/覚えてない」なんて区分け自体が、無意味なように見えてくるものです。

 そんな認識が出来るようになれば、ちょっとやそっとで「ド忘れしてお手上げ」なんてことはなくなるはずなのです。

 ですから知識量を増やしたければ、知識の繋がりを増やすに越したことはないのです。

 私は大学時代「自分にはまだ知識が不足している」との危機感に駆られて、とにかく大量に本を読んだことがありました。これが所謂乱読であります。

 しかし、身の丈に合わないものや、それほど「ゆかし」と思わないけれどガマンして読んだものは、やはりキレイに忘れてしまっているものです。私の知識として活きているのは、時間を置いて何度も線を引きながら読み返したものや、誰かと真剣に内容を議論して、読みを深めた書物から得たものなのです。

 その知識が何をするためのものなのか、どうやって活用すればよいのか、どんな歴史的、思想的背景をもっているものなのか・・・。知識を適切に運用していくためには、そうした本質的理解を通して他の知識との繋がりを構築していくことが必要なのです。

 塾生のみなさんは今一度、自分が覚えたと思っている知識を点検してごらんなさい。それについて自分の言葉で説明出来ますか? ふむ、ちょっとムズカシイとな。

 それって、もしかして、オフラインなのではありませんか?